いったいどこから
マルコによる福音書8章1~37節 4千人の人々が7つのパンとわずかな魚によって満たされたという奇跡の出来事が記されています。同じように6章30節以下においては5千人の人々が5つのパンと2匹の魚によって養われたという出来… いったいどこから の続きを読む
小松川教会の説教 主日礼拝の説教概要
マルコによる福音書8章1~37節 4千人の人々が7つのパンとわずかな魚によって満たされたという奇跡の出来事が記されています。同じように6章30節以下においては5千人の人々が5つのパンと2匹の魚によって養われたという出来… いったいどこから の続きを読む
マルコによる福音書7章31~37節 「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」(37節) 主イエスによる癒しの記事ですが、単なる癒しで… すべてがすばらしい の続きを読む
マルコによる福音書7章24~30節 神を信じるといいながら、祈りが聞かれなかったり、自分の思い通りに事が運ばないと絶望し、自分の都合で神を疑うような事をしていないでしょうか? 「それほど言うなら、よろしい・・・」(2… それほど言うなら の続きを読む
マルコによる福音書7章14~23節 「・・・皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」(14~16節)人は外から入… 心の中にあるもの の続きを読む
マルコによる福音書7章1~13節 主イエスの元にやって来ても、主イエスを見上げるのではなく、そこに居る人々に心を囚われているファリサイ派、律法学者の人々の様子が記されています。彼らは神の御心に生きたいと神に目を向けてい… 何に従うのか の続きを読む
ローマの信徒への手紙13章11~14節 「夜は更け、日が近づいた、だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身につけましょう。」(12節)今年、私たちに与えられた教会標語です。 当時1世紀半ば過ぎ、人々は様々な抑圧の中で… 夜は更け、日は近づいた の続きを読む
出エジプト記33章12~17節 イスラエルの民を導いていた指導者モーセはシナイ山において、神との交わりの時を持っていました。しかし、イスラエルの民は山に登ったまま指導者が40日も帰ってこない上に、神が共におられないとい… 1年の終りに臨んで の続きを読む
マタイによる福音書2章1~12節 「学者たちはその星を見て喜びにあふれた」(10節)星に導かれて救い主イエス・キリストに出会い、喜びあふれて礼拝をお献げしたのは占星術の学者達でした。彼らは聖書では迷信とされ禁じられてい… 喜び溢れる人々 の続きを読む
マタイによる福音書1章18~23節 1章の初めには、イエス様がお生まれになるまでの系図がありますが、人間の能力や優れた血筋が記されているのではなく、罪と嘆きの悲惨な歴史です。そのような暗闇から「自分の民を罪から救う」(… クリスマスの出来事 の続きを読む
イザヤ書11章1~10節 「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く・・大地は主を知る知識で満たされる。・・・そのとどまるところは栄光に輝く」(6~10節)預言者イザヤ… 切り株から新しい命へ の続きを読む