切り株から新しい命へ

イザヤ書11章1~10節

 「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く・・大地は主を知る知識で満たされる。・・・そのとどまるところは栄光に輝く」(6~10節)預言者イザヤが、メシア=救い主イエス・キリストが来る事によって、神の国=神の支配による永遠の平和がくると、希望の預言をしました。当時のイスラエルの民は罪の中で希望が見えない暗黒の時代を何とか生きている状況でした。今を生きる私達も同じで、弱肉強食のようなすさまじい世界の中に身を置き、全てのものが共存共栄できる世界等、夢物語のような光景です。しかしそれは人間が自分達で造る世界ではなく、神が与えてくださるものだと記されています。ダビデの子孫の中に与えられる新しい王であるイエス・キリストによって実現される新しい世界です。
 「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ちその上に主の霊がとどまる。・・・」(1~2節)
 「わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。」(ヨハネの黙示録22章16節)
 「ひこばえ」とは「切った株根から出た芽、樹木の切り株や根本から群がり生える若芽」という意味で、切り倒された切り株を土台とした所に神の国は芽生えて行きます。「木には希望がある、というように木は切られても、また新芽を吹き、若枝の絶えることはない。地におろしたその根が老い、幹が朽ちて、塵に返ろうとも」(ヨブ記14章7節)主イエスの家系はダビデの血統ですが、それまでのダビデ王朝という過去の輝かしい大木が、悔い改めと共に切り倒されて、神の憐れみと裁きを貫いてかろうじて残された切り株から全く新しい世界が造り上げられ、その中に私達も加えられているのです。
 神の国はこの世の生活の延長上に造られるものではありません。最初の古い木が切り倒されるように、私達の自分の思いや経験等が切り倒されて新しい生まれ変わりの世界、神にある平和の世界が造られます。新しい切り株、ひこばえとして、神は救い主イエス・キリストをこの世にお遣わしになったのが、クリスマスの出来事です。
 新しく生まれ変わるとは人生をやり直すのではなく、今迄の自分の生き方、考え方が切り倒されて神の力によってこの命がまるごと造り変えられる事です。悔い改めて神より新しいひこばえが与えられる事が求められています。