喜びの歌が響く

詩編65編

澤田直子師

主題聖句『恵みの溢れるあなたの家、聖なる神殿によって わたしたちが満ち足りますように。』 詩編65編5節b
 詩編65編は、ユダヤの三大祭りの一つ「仮庵祭」で朗誦されたと言われます。豊かな収穫は神に祝福されている証でもありました。4節には「罪の数々がわたしを圧倒します」とあります。自分の罪を示され、深く悔い改めて、願をかけて祈ったのでしょう。そのような自分を神は贖い、豊かに赦してくださり、神の庭に宿ることを許されました。何と慈愛に満ち憐れみ深いお方であることか。
 この詩に描かれる豊かさは、神の家・神の庭のものです。わたしたちのものではありません。信仰者は、神と子羊の玉座から流れ出る豊かな水を受けて、それがどこから来るのかを知ることはできますが、時が満ちていない今、まだその庭に行くことはできないのです。
 わたしたちは、この世で苦難や試練に遭う時、神様なぜですか、と問いながら、首をかしげてしまうことがあります。神様が愛の神なら、なぜわたしには、わたしの家には、わたしの教会には、恵みが溢れていないのか。これはおかしい、何が悪いのか、誰のせいなのか、と言いたくなる。
 神は高ぶる者を引き下げ、へりくだる者を高く上げる、と聖書には繰り返し書かれていますが、これは真実です。自分の力が及ばない苦難の中で、なぜですか、と問いながら、もしや自分の内側に「なぜ」の答えがあるのではないか、と恐れをいだく時、たとえそうであっても、神は豊かに赦してくださるお方です。罪びとを招き、食卓を共にしてくださるお方です。
 わたしたちは、その約束を知っています。そこから溢れて流れてくる清らかな水が、わたしたちに届き、渇きを癒して、神の家がどんなに豊かで明るいところかを教えてくれます。わたしたち、という、小さく欠けのある収穫物を、神様は「聖なる生ける捧げもの」として喜んで受けてくださいます。わたしたちも、耳を澄ませ、心を澄ませて、神の庭から聞こえてくる喜びの歌の響きを聞きましょう。
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