十字架の贖いによって

エフェソの信徒への手紙1章1~7節

澤田 武師

主題聖句 「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。」 エフェソの信徒への手紙1章7節
 パウロの宣教の応答として、神様はこの世に教会を生まれさせてくださいました。生まれたての小さい弱い群れは、この世には受け入れられない存在でした。パウロが、教会に集う兄弟姉妹に、全精力を注いで「教会とはなんぞや」と励ましを込めて記したのが「エフェソの信徒への手紙」です。
 獄中にあるパウロにとって、手紙を書くことが唯一の伝道の手段です。差出人パウロは「神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロから」と記し、イエス様から「わたしの名を伝えるために選ばれた器」(使徒言行録9章)として、囚われの身であっても生かされ、豊かな恵みを与えられている者であることを証しています。
 手紙の冒頭、パウロのイエス様への溢れる思いは、「ほめたたえられますように」との言葉の後に一気に手紙の文字となっていきます。それは、思いを伝えたい「聖なる者、イエス様を信じた者」、受取人であるエフェソの兄弟姉妹たちが居るから、パウロは彼らと共に生かされていると信じているからです。
 パウロは、自分自身が一番神様に祝福された者であると確信しています。だから、神様は全ての人を祝福したいと思っておられることをも知っています。神様は惜しみなく、独り子イエス様をこの世に与えてくださり、約束の聖霊を送ってくださった。また、神様は天地創造の前から、私たちを愛して、聖なる者、汚れのない者となるように選んでくださった。「わたしたち」もこの中に生かされている、という感謝の思いが神様を祝福する言葉となっていきます。
 「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。」イエス様の十字架の死と復活の事実は、パウロの実感、確信です。この言葉はとても重要です。何時の時代でも、イエス様に罪を贖われ、赦された者たちがこの世に教会を立てあげて来ました。教会は神様の御業が現わされた所なのです。
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