わたしを愛する者

ヨハネによる福音書14章20~26節

澤田直子師

主題聖句 『しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。』 ヨハネによる福音書14章26節
 「かの日には」、再臨の時には、「わたしが父の内におり、あなたがわたしの…」と、神様とイエス様は一体であり、そして、あなた方もわたしと一体であることがはっきり分かると、イエス様は語られました。ヨハネによる福音書では、私たちも神様の教会の一員に招かれている、理想の教会の一部分として表されています。そして聖霊の働きは、父なる神様、イエス様、私たち皆が一つになる真理を、私たちに示しています。
 イエス様は「わたしの掟を…、それ守る人…」それは「わたしを愛する者」であると言われ、弟子たちをそう呼びました。イエス様の思いはこの名前に集約されています。名前は三つの重要な要素が含まれ、一つの真理を現します。
 「わたし」は、イエス様御自身です。神様から遣わされた者として、神様の御心を現わし、成就するためにイエス様はおられます。私たちは祈る時、「イエス様のお名前によって」と祈ります。イエス様の祈りとして私たちの祈りが神様に届きます。私たちはイエス様以外のお名前で祈ることはありません。私たちの信仰が向かうのはイエス様以外にはありえなのです。
 「愛する」とは、神様が与えてくださった愛をもって、イエス様を愛することです。それは、とても重要なことになります。しかし、実は私たちは神様の愛を全く持っていません。そんな私たちを、イエス様は「神様の愛」に少しでも近づこうとする者として、既に認めてくださっています。
 「者」とは、イエス様を知り、愛する「人間」のことです。神様は礼拝する者として私たちを造られました。私たちが信仰を持ってイエス様を愛することは、神様が天地を創造された時の、極めて良かった存在になることです。生身の人間を、信仰をあらわす者としてイエス様は見ていてくださる。
 私たちは、神様に選ばれる理由を持ってはいません。しかし神様は私たちを選んでくださいました。惜しみなく愛を注がれるイエス様がおられます。
 今、全ては分からないが、「わたしを愛する者」と呼ばれる私たちがいます。