さあ、立て。出かけよう。

ヨハネによる福音書14章27~31節

澤田 武師

主題聖句 「わたしが父を愛し、父がお命じになったとおりに行っていることを、世は知るべきである。さあ、立て。ここから出かけよう。」 ヨハネによる福音書14章31節
 イエス様と天の父との間には、揺るがない信頼関係が確立していました。イエス様は、神の最善を信じておられますし、また、神がご自分を信頼しておられることを知っていました。これほどの信頼関係は残念ながらわたしたちには作り出せません。
 このゆえに、イエス様はサタンの誘惑にも揺らぐことがありません。サタンは長年あらゆる人間を誘惑してきましたから、人の弱みを熟知しています。たいていの場合、世的に見てその人の強みであるところが、サタンの狙い目になります。権威があるなら権威を、財産を持っていれば財産を弱点と見て、サタンはそこに付け込んでくるのです。
 聖書を読む限り、完全にサタンの誘惑に打ち勝ったのはイエス様ただお一人です。なぜなら、イエス様は、この世に何も持たなかった。イエス様のものは全て、癒しの技も、奇跡も、御言葉も命さえも、そのまま天の父のものでした。イエス様の明け渡しは徹底しており、その従順は完全でした。
 キリスト教の教義には「救済史」という言葉があります。聖書は、神が人を救おうとする歴史が記されている書物です。それだけではなく、信仰者一人一人も、神の救済史を持っています。それは、信仰者が、何ができようができまいが関係なく、ただ神の憐みにより、救おう、と決められているのです。そのために、イエス様はわたしたちにイエス様の平和をくださると言われます。
 なぜ、わたしたちのような小さな貧しい、愚かな者を救おうとされるのでしょう。その答えは31節にあります。「さあ、立て。ここから出かけよう。」出かけよう、は一人称複数です。イエス様はわたしを一人にはしません。そしてわたしもイエス様を一人にはしません。それがイエス様が望まれることなのです。
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