主と心を一つにして

列王記上8章54~61節

澤田直子師

 列王記上8章は、神殿奉献の際にソロモン王が奉げた祈りが記されています。王の権威を誇示することなく、イスラエルの民への愛が満ち、足が地についた素晴らしい祈りです。
 ソロモン王が即位して4年目に基礎を据え、そこから7年かけて作り上げた壮麗な神殿に、神は「ここにわたしの名を置く」と言われました。もとより全知全能にして全てを支配される神をお納めする場所など、天地のどこにもあり得ませんが、神は、人と神との聖なる交わりの場として神殿にその名を置いてくださったのです。聖書においては、名前はその存在そのものを表すとされています。神の名が置かれる神殿は、神の臨在の場、祈りによって神と人とが結ばれる場に他なりません。
 現代では、教会がその役目を果たしています。わたしたちが主日ごとに教会に集い、祈りと賛美を献げ、献金をお献げするのは、ここに神の名が置かれているから、神様がわたしたちの祈りを近しく聞いてくださるところだから、そのためにこそ、ここが建てられたからです。祈りは、神様の存在を近いものにし、祈る者を変えていく力、祈る者を通して、世を変えていく力を持ちます。
 58節から60節まで、この990年後にイエス様が弟子に教えた「主の祈り」と何と似ていることでしょう。また61節『主と心を一つにし』とは何と真実で美しい祈りでしょう。それは、イエス様のゲツセマネでの『わたしの願いではなく、御心のままに』であり、十字架につけられながら『彼らをお赦しください、自分が何をしているか知らないのです』という祈りです。主と心を一つにしたいと願う時、わたしたちの外側の状況はどのようなものであれ、心の内には愛と平安が満ち満ちるのではないでしょうか。しかしながら、破れがあり傷を持つわたしたちの心を主と一つにするには、「明け渡し」「委ねる」ことが必要です。
 イエス様に息子の癒しを願った父親は『信じます。信仰のないわたしをお助けください』と叫びました。主に全てをお委ねしていきましょう。
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