真理の霊が導く

ヨハネによる福音書16章4~15節

澤田直子師

 ペンテコステとはギリシャ語で50日目という意味です。小麦の収穫を祝って初穂を献げるユダヤの祭事でした。使徒言行録によれば、この日エルサレムで祈っていた主イエスの弟子たちに聖霊が降り、彼らが他の国々の言葉で福音を語り、それを聞いた人々がその日だけで3000人もイエス・キリストを信じて救われたところから「聖霊降臨日」と言われるようになり、教会の誕生日とされています。
 主イエスは聖霊を「弁護者」と呼びます。13節「真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」。真理とは何か。主が言われた「わたしは道であり、真理であり、命である」14章6節。イエス様そのものが真理なのです。聖霊はイエス様を悟らせます。それは、主の十字架も復活も、他の誰でもないこのわたしのためであったということです。わたしたちは持っている時にはそのありがたさがわからず、失って初めて気づくものです。弟子たちも、イエス様が天に帰られて初めて、イエス様の言われた言葉の数々を、行われた奇跡を思い出し話し合ったでしょう。それが今福音書となってわたしたちを救いに導いたのですから、7節「わたしが去っていくのはあなたがたのためになる」とはまさにその通りでした。
 私たちの「この世」とは小さなものです。せいぜい、自分の言葉、権威、影響力が及ぶ数十人くらいのところです。それを支配しているのはそんなに御大層なものではなく、ただの「自我」です。イエス様はそのような私たちの小ささをよくご存知でしたから、真理に導く霊を送ると約束され、私たちがイエス様に導かれるように助けてくださったのです。
 私たちはイエス様の御前に導かれたら、自分の中の愛と赦しの貧しさに膝を折らざるを得ません。そして、その自分を愛し赦してくださるイエス様を見上げるほかなくなるでしょう。ヘブライ4:15『この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遇われたのです。』弱さを持つ者だからこそ用いられます。