テモテとの出合い

使徒言行録16章1~5節

澤田武師
 主題聖句 「パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。」 〈3節〉
 第二回目の宣教旅行は、パウロの宣教活動に生涯関わった弟子、テモテとの出会いでもありました。テモテの信仰は、パウロの第一回目の宣教旅行において、祖母、母親が救われ、家族伝道によってイエス様へと導かれたと思われます。
 パウロの「伝道」に対する心構えを見て行きたいと思います。パウロは今回の宣教旅行を行う動機として「前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているのかを見て来ようではないか。」と、困難な地で信仰に生きている者の様子を知りたいとの思いが、新しい宣教旅行へと進ませる原動力となりました。信仰を守り続けている者を訪ね、励ましたいとの「求め」がなければ、再び訪ねることはなかったかもしれません。困難を乗り越えてまでも「求める」、ここにパウロの宣教の原動力が見えます。
 そこに、テモテはいました。もし、パウロが迫害を避け、より宣教のしやすい土地を選んだなら、テモテはこの地方では用いられましたが、パウロと共に宣教に励む者とはならなかったでしょう。迫害の地に備えられた器として、パウロとテモテは出会います。この出会いこそが「神の備え」と言えます。
 多くの教会では結構、何々が足りないことが話題になります。「不足」は「不満」に変わります。しかし「不満」は「不足」しません。わたしたちは何を与えられているのかを、もう一度確認することです。テモテを迫害の地で見いだします。
 3節「テモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。」という記述は重要です。パウロは決して矛盾した事を言っているのはありません。テモテはユダヤ人とギリシア人の両方の血を受け継ぐ者で、テモテへの割礼はあえて、ユダヤ人であることを証詞するための手段です。パウロはユダヤ人への宣教のためなら、不利な条件であっても「用いる」」ことを躊躇しませんでした。
 ホ群結成70周年を思う時、教会弾圧の中でも、迫害は「信仰の求め」を消すことは出来ませんでした。神は復興の時のために「備えて」くださり、当時の兄弟姉妹は全てのことを「用いて」教会復興を果たすことが適いました。神は出合を与えます。そしてそれは、今わたしたちにも与えられているものです。