クリスマスを求めた旅人

マタイによる福音書2章1~12節

佐々木良子師

 信仰問答集というもの中に「人間最上の幸福は何ですか?」という問いがありますが、その答えは「神を知ることです」とあります。主イエスは「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ6:33)と、仰せになっておられます。正にその主イエスのご誕生の前に、東の国からエルサレムを目指して旅する3人の占星術の学者たちが、イエス・キリストを求めて旅した事が記されています。
 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(2節)神はこの星によって彼らを導かれました。彼らはその導きに従うために、今まで住み慣れた家や仕事、積み上げてきた名誉や財産などに執着することなく、その場から一歩踏み出したのです。
 「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。・・・幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」(11節)彼らは主イエスとお会いし、喜びに溢れて礼拝をおささげして、献身の徴として最高の献げものをしたことが、クリスマスの時に代々語り継げられています。彼らはこの時当然、「人間最上の幸福は何か」という明確な答えを握りしめていた訳ではなかったことでしょう。彼らの思いは「イエス様にお会いしたい」というその一点でした。その結果、「学者たちはその星を見て喜びにあふれた」のです。
 この喜びとは厳密にいうなら「非常に大きな喜びを喜んだ」ということで、今まで味わったことのない、この世にはない喜びだったのです。つまり、「人間最上の幸福」に出会ったのです。イエス・キリストに出会うということは、このような特別な喜び、人間として最上の喜びなのです。神はこのことを占星術の学者たちを通して、クリスマスに私たちに示しておられます。
 それとは対照的に「不安」に怯えるヘロデ王とエルサレムの人々の姿が記されています(3節)。不安の理由はそれぞれ違いますが、共通するのは今の自分たちの生活、立場を守ることに固執し一歩踏み出せない事です。信仰とは確固たる保証があって進むものではなく、「主イエスにお会いしたい」と、神との出会いに期待する事から始まります。そこには既に大きな喜びが準備されています。