クリスマスはどこから

イザヤ書9章1~7節

佐々木良子師

 「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」(1節)イザヤという預言者は、最も深い暗闇の中にある人々に向かって大きな光が照り輝くと預言し、実際に人知を超えるほどの天上の光の大きな喜びが明るく輝いたのです(2~4節)。
 神から特別な民として選ばれたイスラエルの民は、神に背き続けた結果、繰り返し敵国からの侵略を受け、次々と諸外国の支配下に置かれるという悲惨な歴史を刻むこととなりました。そのため、北イスラエル地方は宗教的に純粋性が失われ、神の救い・祝福からほど遠い「異邦人のガリラヤ」(8:22)と、軽蔑された呼び名がつけられるほどになってしまいました。
 闇とは神を失い不信仰な状態を指しています。神がどんなに私たちを愛して呼びかけてくださっていても、応えようとしないことを聖書では罪といいます。イスラエルの民のように不信仰な状態は、正に暗闇の中にいるということで、本来の人間のあるべき姿ではないのです。
 そのような暗闇に住む人々の救いのために「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。・・・」(5節)と、神の愛の実現としてクリスマスにご誕生されたのがイエス・キリストです。全人類に対する完全な罪の赦しのために、既に成し遂げられましたから誰一人暗闇の中を歩む必要はなくなったのです。
 「万軍の主の熱意がこれを成し遂げる」(6節)と記されている如く、神の熱意、熱心、情熱によって成し遂げられるものです。私たちが必死に努力するものでもなく、又、人の不信仰も妨害できない「永遠」に変わることのない一方的な神の愛によって与えてくださった希望です。私たちは神から差し出された愛を感謝して受け取るだけで、神の真実の愛の中に永遠に生きることができます。
 今、私たちの世界も当時のイスラエルのように、暗闇の危機的状況の中にあります。預言者イザヤは現代のこの世にも向かって語っています。「ひとりのみどりご」を通して与えられているこの希望を全ての人々が受け取ることを。世界中に大きな光が輝き、命と平和がもたらされることが神の御心です。イエス・キリストによる救いとご支配がこの私に、教会に、そしてこの地上になされますように祈ります。