どこに行かれるか

ヨハネによる福音書7章32~36節

澤田 武師

主題聖句 「あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。
        わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない。」  ヨハネによる福音書7章34節

 群衆の「ささやき」からは、イエス様をメシアとして求める声も多く聞こえてきます。祭司長、ファリサイ派の人々はイエス様の人気を妬みつつも聞いています。やがてその声は、自分たちの権威が脅かされるとの不安を生みました。そして、不安は群衆を恐れる心にと変わりました。この事態の唯一の解決策として、イエス様を捕らえる行動へと彼らを駆り立てます。
 「今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る」。イエス様は、地上での歩みには限りがあり、救いを受け入れるのにも限界があると言われています。十字架の時が迫っていると言われます。しかし、イエス様のお言葉の意味を、誰も理解できませんでした。
 後にイエス様の告別説教を聴いていた弟子たちでさえ、「『しばらくすると』と言っておられるのは、何のことだろう。何を話しておられるのか分からない」16:18とつぶやきます。十字架の死と復活を経験しなければ、イエス様がお話されていた言葉の意味をはっきりと知ることはできなかったのです。
 「あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない。」ファリサイ派や祭司長たちの聖書の理解や律法の解釈からでは、イエス様をメシアであると知ることはできません。それは、彼らの目の前にイエス様がおられても、彼らは決して真のメシアとしてのイエス様に出会えないということです。
 十字架の死と復活を信じるということは、神様は永遠の存在であると信じることです。神様はイエス様を死に打ち勝たせ、復活させられ、私たちに死をも乗り越えて行く永遠の命があることを示されました。ユダヤ人が「ギリシア人に教えるとでもいうのか」と嘲笑した言葉ですら、神様の御手の中では真理に変えられます。イエス様のお言葉は、この数年後には、ユダヤの地に限らず、異邦人に伝えられ、世界に広められました。この事実を歴史は証しています。イエス様を見失うことは、神様を見失うことです。イエス様がどこに行かれるか、決して見失わないよう、目と心を開いて従って行きましょう。
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