どこから来られるか

ヨハネによる福音書7章25~31節

澤田 武師

主題聖句 「わたしはその方を知っている。わたしはその方のもとから来た者であり、
        その方がわたしをお遣わしになったのである。」  ヨハネによる福音書7章29節

 ヨハネによる福音書ではイエス様が「大声で言われた」という記述が28節以外にも2か所記されています。「祭りの終りの日(7:37)」、「ラザロを生き返らせる時(11:43)」です。これらに共通しているものは、神様を信じない者、疑いを持っている者、また、現実にある死に打ちのめされた者たちの心の叫びに答えられて、イエス様自らが先にお語りくださったお言葉であるということです。
 「大声」とは、元々のギリシャ語では「霊感に溢れて叫ぶ」という意味があります。ここで「大声で言われた」のは、イエス様が「メシアとは誰のことか」、大切な事実を「叫ばれた」お言葉であることが示されます。
 「どこの誰なのか。」自分自身を証明する時に必要となることです。教会でも初めて来られた方には、受付でお名前、連絡先を書いてくださいとお願いします。それは、受け入れる側からすれば、初めて来られた「あなた」をかけがえのない一人として歓迎します、という気持ちのあらわれです。
 エルサレムの人々はイエス様を「知っている」と言います。しかし、それは地上でのイエス様のお姿です。イエス様は、ご自分が天の父なる神様の独り子であることを、そして父なる神様が遣わしてくださったことを、あなた方は「知らない」と人々に向かって言われます。
 私たちの信仰にも同じことが言えます。信仰は決してこの地上だけで終わるものではありません。聖書は、私たちの国籍は天にあると記しています。私たちには地上の出身地だけでなく、もっと大きな「故郷」があります。それは天の国に帰る希望をもつ信仰、本来私たちが帰るべき所を知っている信仰です。
 「オープンチャーチ」アンケートに、「あなたは神がいると思いますか。いないと…。その理由を教えてください。」との問いがありました。この回答として「イエス様はどなたなのか」そして「霊感に溢れて叫ぶ」信仰に生かされている者の証しの言葉が多数記されていました。「時々分からなくなる」とお一人の方が書かれていました。正直な言葉です。聖霊に導かれて、ご自分の弱さを見つめた言葉です。イエス様は、弱い者と共に歩んでくださるために私たちの間に来られたお方です。
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