夜明けはまだか

ルカによる福音書1章67~80節

澤田 武師

主題聖句 『これは我らの神の憐れみの心による。』      1章78a節
 「神様に仕える」ことと、「神様に出会う」ことは異なります。祭司ザカリアには、神様は遠い、近づきがたい存在でした。しかし、神様はザカリアに直接語りかけてくださいました。
 神様に祈り願っていた事柄が適う、時にそれは、人間の思いでは「不可能」であったものが「可能」となった、ということです。神様が現実に介入され、すべてを成し遂げてくださった事実の前に、人間はただ、ひれ伏すだけの存在であることを改めて知ります。そこには「畏れ」が生じます。
 ザカリアは息子ヨハネ誕生後に、声を出すことが出来るようになりました。彼は聖霊に満たされて神様に自分の言葉をもって栄光をお返しします。その言葉が「ザカリアの預言」として残されています。神様が彼の口を通して語られたクリスマスの始まり、新しい時代の訪れ、夜明けが近いとの宣言です。
 御言葉を受け入れ、神様に用いられた者の言葉は、個人の思いを超えて、世の喜びへと思いを巡らしてゆきます。
 「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を」 で始まる預言の言葉は、息子ヨハネの誕生が、救い主が来られるための備えであることを証します。聖書の預言が成就した出来事であることが公に語られ、「あけぼのの光が我らを訪れ」と呼びかけられます。
 「これらは神の憐れみの心による。」と、すべてが「神様の赦しから始まることを示された」ということです。救い主は光として来られる。わたしたちも、暗闇に座している者たちにも、誰に対しても朝日は輝きだし、誰もが光に包まれる。それは全ての者に平和を与える光となります。この光こそイエス様が示された神様の愛です。
 神様の新しいご計画が始まる。その一部でも担うことを託された者。彼らの言葉には、神様から与えられた勇気を見ることが出来ます。今まで誰も経験したことのない出来事、誰も信じてくれない出来事。それが神様の御旨と信じた時、そこにはすべてを超える勇気が与えられます。
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