わたしの心は

ルカによる福音書1章46~56節

澤田 武師

主題聖句 『わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。』 1章47節
 マリアは天使ガブリエルのみ言葉を受け入れました。それは常識では 「受け入れられない」 出来事を、神様の御旨と信じたことです。一人の女性の思いがクリスマスの御業を進めました。
 エリサベトとの出会いは、神様のみ言葉を信じた者同士の出会いです。エリサベトは、聖霊に満たされて、マリアの妊娠を、それが神様の業であり、主の母になる幸いな者であることを告げます。
 マリアは胎の子が神様の御旨であることを確信します。そして自らが「幸いな者」であると告白します。ルカは二人の女性が 「神様の言葉を信じた幸いな者」 であったことを記しています。
 イエス様は「心の清い人々は幸いである、その人たちは神を見る」と言われました。ここで「清い」と訳されている言葉は「カロサス」。この言葉は「最も厳粛な自己検討を要求する」といいう意味が含まれています。彼女らは「神様の御心が自分たちの上に成就した」、そこにこそ御言葉を受け入れた「幸いな者」としての存在があることを知りました。
 クリスマスは、全ての者には理解不可能な「受け入れられない」出来事として成就しました。神様の御旨の全てを理解することは、私たちには到底出来ません。
 マリアは神様の御旨として「不可能」な出来事を、「可能」な出来事として受け入れました。神様は全てを支配していてくださる。この小さな者にも目を注いで、用いてくださった。
 マリアの賛歌を、皆さんには「わたしの心は」と読んでいただきたい。受け入れない出来事に直面した時に、「わたしの魂は、主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。」 と告白する信仰者であり続けたいと願います。「受け入れられない、理解出来ない」ことを、神様の御心として確信を持って「受け入れた」時が、「不可能を可能に変える」 クリスマスの訪れです。そこには幸いな者が集っています。
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