神は共におられる

マタイによる福音書1章18~25節

澤田 武師

主題聖句 「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」 マタイによる福音書1章23節
 ユダヤ人にとって、系図は自分自身の存在を証明するために、とても重要なものです。マタイはイエス様の存在が正統かつ事実に基づくことを証明するために、最も確かなものとして系図を記しました。
 系図の中には、神様に用いられた多くの人たちの名が記されます。「そしてイエスがお生まれになった。」お生まれになったとは、イエス様だけに用いられているお言葉です。神様が人間としてお生まれになった、救い主としてお生まれになったことを示します。この系図は、クリスマスが神様のご計画として与えられたことを意味しています。
 マタイはヨセフの苦悩の中に、最初のクリスマスがあったことを伝えています。ヨセフは夢の中で、「恐れずに妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。」と、天使から告げられます。そして生まれてくる子どもに、イエスという名を付けること、この名は「神は我々と共におられる」という意味であるとも伝えられます。
 だれにでも「恐れ」はあります。病はもちろん、日常生活にも将来にも恐れはあります。“何故私がこんな目に”簡単には受け入れられない現実。神様は恐れるなと言われます。「恐れるな」とは、受け入れることの出来ない現実を受け入れることです。自分の力だけでは到底受け入れられない現実であっても、そこに神様が居られると信じた時、受け入れられるのではないでしょうか。「神は我々と共におられる」から、受け入れることができるのです。
 もし、神様が私たちにイエス様を与えてくださらなかったら。クリスマスが来ない世界とは。そこには聖書も、教会も、礼拝もありません。罪からの救い、永遠の命への宣言もありません。兄弟姉妹の交わりも讃美歌も生まれません。暗闇には永遠に光が輝きません。
福音は命です。希望です。クリスマスは全ての暗闇に「主の栄光があなたの上に現われる。」と光を与えてくださるのです。メリークリスマス。
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