贖いの落穂

ルツ記2章17~23節

澤田 武師

主題聖句 「ナオミは嫁に言った。『どうか、生きている人にも死んだ人にも慈しみを惜しまれない主が、その人を祝福してくださるように。』」 ルツ記2章20節
 聖書は貧しい者や寡婦たちの生活を支えるために、“落穂を拾う権利”を認
めています。(レビ23:22他)そして富める者に対して、収穫の時には、畑の隅まで刈り尽くさないこと、集められずにこぼれた落穂は必ずそのまま残すようにと命じられています。(レビ19:9他)
 “落穂拾い”は命の糧を守るための律法で、「主はあなたを祝福される」と神様が備えられ、神様が養ってくださるための掟であると言えます。そこが現在の人が支える社会福祉の考え方とは異なる点です。
 ナオミとルツのベツレヘムでの生活は、他人の落穂を拾わせてもらう厚意によってのみ支えられています。ルツは必要に迫られて、落穂を拾いに出掛けて行きますが、頼れる者はここにはいません。送り出したナオミも不安であったでしょう。
 既にルツの行動には、神様の備えが示されていました。17節「ルツは…日が暮れるまで畑で落ち穂を拾い集めた。…取れた大麦は一エファほどにもなった。」1エファは約23リットル。一人の女性が落穂拾いをして集められる量ではありません。ルツはボアズの畑に導かれ、そこで落穂拾いの範囲を超えた、特別な待遇を与えられます。神様はボアズを通して、彼女たちに命を与えます。
 ナオミはルツが落穂拾いで拾ってきた大量の麦と、食べきれずに持って帰ってきた炒り麦を目の前にして、戸惑います。
 そしてこの恵みが、ボアズの計らいと知った時、目の前の落穂は、自分たちに命を与えただけでなく、神様が落穂として拾い集めてくださったことをナオミは知りました。ボアズの背後に居られて働いてくださる神様の御手が、落穂を備えてくださったと、神様が落ち穂のような私を顧みてくださったと、ナオミの信仰をも回復させました。
 神様は生活を支え、そして用いてくださる。私たちも神様が御手をもって贖い拾われた落穂です。神様が用いてくださるために。この日常を歩みましょう。
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