勝利を得る時

ヨハネの黙示録21章3~7節

澤田 武師

主題聖句 「すると、玉座に座っておられる方が、『見よ、わたしは万物を新しくする』と言い、また、『書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である』と言われた。」 ヨハネの黙示録21書5節
 「ヨハネは何を「見よ」と言われたのか。それは、今までヨハネが見て来た世界とは異なり、神様と人間が共に住み、神様と人間の交わりが回復された世界です。イエス・キリストにより罪に覆われていた世界が去り、新しく現れる世界です。その時にはイエス様が再び来られる。これが「再臨」の希望です。
 ヨハネは語りかける声を聞きます。新しい世界には、もはや死はなく、悲しみも嘆きも労苦もない。神様は慰め主として、すべてを拭い去ってくださる。最後の敵である「死」さえも、拭い去られます。死はアダムの罪の結果として、人間に課されたものでしたが、この問題も今や完全に解決されました。
 天地創造の初めには、死も悲しみも嘆きも労苦もありませんでした。神様はこれらを創造されませんでした。原罪は神様の思いから人間を引き離しましたが、その関係は元へ戻る。神様が再び創造される時が、救いの完成の時です。
 再創造について、神様は「万物を新たにする」とヨハネに語りかけます。すべてが変わる。世界もそこに生かされるものも、そのすべてが新しく変えられます。そしてこれこそは「信頼できる事実である」から「書き記せ」と、命じられます。希望の命令です。神の愛により頼む者はすべて「勝利を得る者」として神様からの栄光を受けて、完全勝利を収める者となります。
 「再臨」は明日来るかもしれません。私たちが地上で生きている間には来ないかもしれません。それは誰にも分かりません。聖書にも書かれている通り、神様だけが決めておられる時だからです。だから待たなくても、だから考えなくてもよい、ということではありません。「再臨」の恵みによって、神様は私たちに永遠を想う心を与えてくださいました。この永遠を信じて、多くの者が既に天に帰りました。永遠を待ち、永遠を信じて地上の働きを終える、それは希望の生涯ではないでしょうか。私たちも書き記しましょう。私たちの信仰を。生かされている喜びを。
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立ち上がり、歩きなさい

使徒言行録3章1~10節

澤田 武師

主題聖句 「民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。」 使徒言行録3章9節
 「民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。」男はペトロとヨハネにも金銀の宝を願いましたが、神様は男の最も必要な体の癒しの業を彼らに託されました。彼らは男を立ち上がらせます。
 人々はさっきまで毎日「美しい門」のそばに座って施しを乞うていた男が、躍り上がって立ち、歩き出し、神を賛美してペトロたちと一緒に神殿の境内に入っていくのを見ました。神様は彼らを通して、男の足をしっかりと立たせます。今まで束縛されていた、律法で定められた罪から、男は救われました。
 「神癒」とはホーリネス系信仰の独特の言葉です。「癒しの恵み」とは、私たちを病から、その苦しみから解放してくださるということです。
 しかし、癒しの恵みは肉体の病気という限られた範囲で、とらえられてしまう傾向があります。また、癒されること自体が、目的になってしまうことがあります。それは間違いです。人間は、肉体だけでなく、精神、心を持つものです。また、人との関係の中で本来生きるものです。そして私たちは、神様との交わりを通して生きるものとして、創られたものです。
 聖書には、私たちの信仰が観念的、あるいは精神的な心の中の問題だけでなく、目に見える形で、私たちの日常に起こる出来事として、数多くの癒しによる祝福が記されています。
 聖書は新約旧約問わずに、私たちの魂の問題と同時に、この「からだ」をもって生かされている私たち、「こころ」をもっている私たちの「存在」、「日々の生活」にも関心があることを記しています。
 聖書は、神様が私たちを創られた時から、神様は私たちの日常の中に具体的な出来事としての、「癒しの恵み」を与えてくださっていることを記しています。神様が私たち被造物を、癒してくださるのです。
 そして、私たちはイエス様が再び来られる「再臨」を待ち望んでいます。再臨の時まで、神様は私たちの弱さの中に、足りなさの中に、すべての人の生活の中に「癒しの恵み」を常に備えてくださっています。
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主に愛されている人

テサロニケの信徒への手紙二 2章13~17節

澤田 武師

主題聖句 「なぜなら、あなたがたを聖なる者とする“霊”の力と、真理に対するあなたがたの信仰とによって、神はあなたがたを、救われるべき者の初穂としてお選びになったからです。」 テサロニケの信徒への手紙二 2章13節b
 テサロニケの教会内では、再臨が既に起こったとさえ言う者も現れました。心騒がせた者も多かったようです。信仰は揺り動かされています。信仰者として真剣に、本当の再臨を待ち望むために、再びパウロは兄弟姉妹に呼掛けます。
 13節、神様は先にあなた方に“聖霊の潔め”を与えられた。福音はあなた方が選び取ったのではない。聖霊を通して神様が与えてくださった。そして、あなた方は“福音の真理の信仰を守ること”を選んだ。それによって神様に“選ばれた者たち”として“救いの初穂”となった。
 彼らは最初の者、初穂、となった。それは初穂として、更に信仰の実を結ぶためにそれぞれの生活の場に遣わされるためであった。
 パウロは「感謝せずにはいられない」と再度記しています。パウロの言葉は、テサロニケの兄弟姉妹だけに記されたものではありません。信仰者となった全ての者たち、私たちも含めて与えられた言葉です。パウロの言葉は全ての教会への祈りとなりました。
 イエス様はパウロに言われました。「恐れるな、語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。」神様の召しと私たちの選びは、「地上における聖化」を生み出しました。神様のために聖別された者たちを生み出しました。神様のご奉仕に用いられるように、聖別されました。
 「聖化」の恵みは、私たちにはどうすることも出来ない原罪、それは表に現れない罪です。人間がその根底に持っている罪です。神様はその罪にも御手を添えて罪浄めてくださるということです。
 信仰者の歩みは神様ご自身によって支えられています。神様は私たち一人一人に課題を与えられるお方ですが、私たちに課題を果たす力も与えくださるお方です。礼拝によって、説教を通して、聖礼典を通して、そして、聖霊の導きにより、罪浄められたと、確信を得ることを覚えます。
 再臨の時まで善い働きをし、善い言葉を語る者とならしてくださいと祈る者
は、聖化の恵みを知る。パウロの祈りは「聖化」を求める私たちの祈りです。
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神から生まれた人

ヨハネの手紙一5章1~5節

澤田 武師

主題聖句 「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。」 ヨハネの手紙一 5章4節
 「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。」ヨハネはイエス様の十字架と復活を信じ、イエス様を救い主として告白してゆく人たちは皆、新しく生まれた人として、この世での勝者となると記します。キリスト教の信仰とは生まれ変わることであり、信仰者は「新しく生まれ変わった」という体験をした者たちです。
 ヨハネは「世」とは、神様に背き、神様に敵対する霊的な力が支配する闇と死の領域のあるところと言います。「世に打ち勝つ」とは「世から救われる」ことです。それはこの世の闇の支配から救い出されて、光と命の領域に生きること「救い」となると記しています。人は自分の力と努力で世に打ち勝つことはできません。イエス様を信じる信仰によって、私たちは世に打ち勝つことができるのです。
 イエス様を救い主として信じることは、「世に打ち勝つ勝利」であるとヨハネは語ります。私たちは、神様がイエス様を通して与えてくださる聖霊との交わりの中に生きることで、必ず世の悪しき力、悪しき誘惑に勝利するのです。
 しばしば誘惑に負けてしまうことがあっても、そのたびに悔い改め、新しくされるのです。私たちが世に打ち勝つ勝利は、既に神様の永遠の御計画の中で定められているのです。この信仰をもつことによって、この世のただ中にあって、なお勝利を確信して立つことができるのです。
 「イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。」私たち信仰者は、イエス様は主であると何の疑いもなく告白します。
 神様を愛する者は、神様によって生命を授けられた者同士、家族のように愛し合います。愛である神様によって生まれた者にも,愛が備わっているのです。
 私たちは、御言葉によって育まれ、成長していくなかで、いよいよ神様を愛し、兄弟姉妹を愛する者となっていくのです。この世に見える形で神の家族が、教会があります。ここに「新生」の恵みに生かされる私たちの信仰があります。
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