私たちは鍛えられた

ヘブライ人への手紙12章7~13節

澤田 武師

主題聖句 『およそ鍛錬とういうものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。』  ヘブライ人への手紙12章11節
 手紙の著者は、既にたくさんの信仰者が迫害に遭って苦難を経験した、と記しています。神様は愛する者たちに試練を与え、信仰を成長させてくださる。信仰に痛みが伴う、苦難が伴う。この時が「神様の鍛錬」であると記しています。「鍛錬」とはギリシア語の「バイデイア」という単語を訳したものです。この言葉は元々子どもを表す「バイス」という単語から派生していて、「子どもを教育する。」という意味があります。信仰者を厳しく教育し成長させようとする、神様の御心が見えてきます。
 イエス様は「葡萄の木の例え」を用いて、信仰者がさらに豊かな実を結ぶ枝となるために、父なる神様が不要な枝を剪定されることを、弟子たちに話されました。また、パウロは投獄と苦難が待っているエルサレムへと向かう足を止めませんでした。イエス様が十字架に向かわれたように、彼もこの世に「義と平和に満ちた実を結ばせる」ために「鍛錬」の道を行きます。
 私たちも良い実を結びたいと思いながら、また失敗してしまう自分に気づきます。試練を受け入れられずに、神様はどこに居られるのか、神様は何でこんなことをされるのか、と呟いてしまいます。
 祈りましょう。今はそう思えなくとも、全ての事は神様のみ旨によって起こっている。神様の最善が私に啓示されています。すべてのことは「神様が鍛えてくださっている」と思う練習をすれば、信仰は深く強くなる。神様は日々私の信仰をも手入れをしてくださっています。
 私たちも「義という平和に満ちた実を結ぶ」(11節)生活に変えられます。神様は全ての信仰者と平和に満ちた関係を続けたいと、私たちに近寄られ御手を伸ばしてくださいます。神様は、私の弱さを全て知っていてくださいます。だから、今の鍛錬の先にある真の信仰者とならせてくださいます。それは、私たちが既に神の子であり、霊の父に鍛えられる価値のある子だからです。
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