2020年度

心は喜び躍った

エレミヤ書15章16節

澤田直子師

主題聖句 「あなたの御言葉は、わたしのものとなり わたしの心は喜び躍りました。」 エレミヤ書15章16節b
 預言者エレミヤの生涯をたどる時、この世的には恵まれることの少なかった、苦難と悲劇の預言者であったことを思います。
 15章は、神とエレミヤとの対話です。神は「もはやユダヤ人を憐れまない」と言われ、エレミヤは、敵対する者のために執り成しの祈りをしたのに、と嘆きます。エレミヤが預言者として立った最初の頃は、神の御言葉に従って宗教改革をしようとしたヨシヤ王がいたのですが、ヨシヤ王がエジプトとの戦いで死ぬと、次の2代の王は、世の権威に頼り、神の言葉を軽んじました。
 その中でも神の御言葉を取り次ごうとするエレミヤは迫害を受け、一方で、神から離れ、世の権威におもねって偽りの預言をする者たちは、王に厚遇され安楽な暮らしをしています。エレミヤは、なおも彼らのために祈りながらも、神の御言葉に対して激しい飢え渇きを覚えています。
 わたしたちは、これほどの飢え渇きをもって御言葉をむさぼるでしょうか。人間は、満ち足りた生活の中では、たとえ心の底が荒れ野になっていても気づかないものです。表面的な豊かさでごまかされるのです。しかし、与えられたものがそぎ落とされ、もうどうにもならなくなって祈る時、今更のように神の愛に気づき、その豊かな御言葉の力に奮い立たされるのではないでしょうか。エレミヤは、をむさぼり食べた「あなたの御言葉はわたしのものとなり」と言います。主イエスが囚われる前の夜「わたしのものはすべてあなたのもの、あなたのものはわたしのものです」と祈られたように、学んだ知識ではなく、エレミヤの血肉となったのです。その時エレミヤは気づきます。そうだ、自分は「主の御名をもって呼ばれる者」であった、と。わたしたちもまた、「主の御名をもって呼ばれる者」クリスチャンです。御言葉を求め、むさぼり食べるようにわがものとして、心が喜び躍る歩みをしていきましょう。
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