わたしと共にある神

コリントの信徒への手紙一15章1~11節

澤田 武師

主題聖句 「これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。」 コリントの信徒への手紙一15章1節b
 コリントの教会では、「主の復活を否定する」信仰の乱れが起こりました。パウロは、「わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。」と、福音の中心である教義について、「主イエスは復活された」と改めて強調します。
 人類は、自分たちの「死」を、最も重要な問題としてきました。医学はあらゆる手段を用いて「肉体の死」からの解放を課題とし、現在は細胞や遺伝子レベルの研究から、「生命の再生」を目指しています。しかし、今なお人類には解決できない問題として「死」は存在しています。
 聖書が語る「死者の復活」について、一般的に「死」が存在している以上、なかなか信じることができないものです。しかし福音は「復活」の信仰抜きにしては語ることはできません。「復活」は、肉体の死の先にあるものです。そしてそれは、神様の愛が主イエス・キリストの十字架による死と、復活によって顕わされた、ということです。
 パウロは、主が復活された事実を受け入れることにより「魂の救い」が与えられ、復活の命を拠り所とする生活は、信仰をまっとうさせる、と説きます。そして再臨の時に、完全な体として私たちも復活すると。信仰とはこの福音に生きることであると語ります。
 また、パウロ自身も、復活のイエス様と出会って、誰よりも福音を宣べ伝える者として変えられた証詞者であると語ります。
 私たちの身近にも、信仰の証詞者はたくさん居られます。神様は私たちのために、大切な独り子イエス様を十字架に架けて、その命によって贖ってくださいました。信仰の生涯を生き抜いたという意味において、天に帰られた兄弟姉妹は「聖徒」と呼ばれるにふさわしい方々です。「復活の永遠の命に共に生きる。」この信仰をよく表したのが、「聖徒の日記念礼拝」ではないかと思います。既に故郷である天上に帰られた「聖徒」たちと、地上に歩む私たちと共に礼拝を捧げる主日です。十字架を見上げて、神様と共に歩んで行きましよう。
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