何を見て、何を信じるか

ヨハネによる福音書6章34~40節

澤田直子師

主題聖句 『わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、
        わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。』
                                   ヨハネによる福音書6章40節

 この御言葉をイエス様がお教えになったのは、パンを欲する群衆に対してでした。イエス様のお言葉の意味を考えることさえせず、ただ、今日も明日も無料の食事を与えてほしい、という身勝手な群衆に向けて、イエス様は『わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない』と言われます。イエス様を信じるというのは、決して見捨てられることがない、ということです。
 わたしたちの生きるこの世には、目に見えない線が引かれています。できる・できない、持っている・持っていない、そういう線のどちら側にいるかで、その人の価値が計られたり、その人の言う事の重さが違ってきたりします。ですから、わたしたちは、目に見える価値を持たなければ幸せに生きていけないと思いがちです。
 イエス様は、そんなことには関係なく「わたしのもとに来る人」とだけ、条件を定めます。イエス様が決して追い出さないその証拠は、聖書のあらゆるところに証しされているのですが、残念な事には、多くの人が、時には信仰者までもが『見ているのに信じない』のです。
 38~40節は「決して追い出さない」ということは具体的にはどういう意味かを説明しているところです。一番大切なのは、イエス様の全ての言葉と行いとは、神様の御心の現れだということです。罪人のわたしがイエス様の憐みによって救われた、というのではなく(結果的にはそうなのですが)最初から神様はわたしを救う、と決めておられて、そのためにイエス様を遣わしてくださった、ということです。
 『一人も失わない』。地上の人生だけでなく、肉体の命が終わった後も、この世界の終わりの日が来て新しい天と地が現れた時にも、イエス様のもとに集まった者たちは、神の平和の中にあるのです。
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