恐れなく近よれ

ヨハネによる福音書6章16~21節

澤田 武師

主題聖句 「イエスは言われた。『わたしだ。恐れることはない。』」 20節
 「五千人の給食の奇跡」は、人々の空腹を満たし、不足は喜びへと変えられました。しかし、次の瞬間喜びは新たな不足へと変わって行きます。ローマからの解放、そのために人々はイエス様を求めます。
 もし、人の思いが全て叶えられるとしたら、人は平安になれるでしょうか。一つのことが満たされても、人は次々と新しい不足を探し出して、また、不安になります。願いが叶っても人が不安から解放されることはありません。
 私たちの信仰は、神様の御心を求めて行くことです。神様は愛をもって私たちの不足を満たしてくださいます。何が神様の本質なのかをしっかりと知らなければ、信仰は自分中心で、神様に利益を求める自己中心の心へと変わってしまいます。イエス様は人々が際限なく自分本位に求めてくるのは「恐れ」からであり、それは「神様の本質を見ない恐れ」であることを見抜いて、「恐れ」から退かれました。
 弟子たちは、自分たちだけでガリラヤ湖の対岸へと漕ぎ出します。ガリラヤ湖の漁師だった弟子にとって、湖の横断は、何度も経験してきたことです。しかし、今はイエス様が一緒ではない、ここにも不足があります。舟は目的地の対岸まであと一歩のところまで来ますが、突然の嵐が弟子たちの乗った舟をその場に留めます。
 17節「イエスはまだ彼らのところには来ておられなかった」このお言葉は弟子たちの不足をよく表しています。イエス様を待ち続けている弟子たちの思い、それでも、見切り発車のように、暗闇に漕ぎ出して行った弟子たちに、嵐は「暗闇の中の恐れ」を与えます。恐れに覆われている弟子たちに、イエス様は見えません。
 私たちも、その場に立ち往生してしまうような嵐を、世で経験します。「恐れ」は日々の生活の中にも、これから決めて行かなければならないことの中にもあります。神様は今、ここにはおられない、もしそう思ったら、私たちの信仰はもとより、私たちの存在の意味をも失ってしまうことになります。
 弟子たちにも、そんな私たちにも「わたしだ。恐れることはない」イエス様は直接声をかけてくださいます。これほど力強い励ましのお言葉はありません。
 今、路の途上で苦しんでおられる方、イエス様は全てを見ておられます。あなたの恐れの全てを知っておられます。目的地まであと少しです。イエス様は必ず来られます。それぞれの目的地に向って、恐れを捨てて、一歩前進しましょう。
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