主の家のために

詩編100編

澤田 武師

主題聖句 「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。」 〈1節〉
 創立90周年記念礼拝にふさわしい聖書箇所をと、思いめぐらしていましたところ、詩編100編が示されました。
 詩編100編は、150編あります詩編の中の、「招きの詩編」と分類されています詩編の一つです。100編、この詩編は、おそらく「感謝の献げ物を献げるために、礼拝者が行列をなして神殿の門を通って大庭に入る時」に歌われたものと考えられます。短い文章で神を賛美し、繰り返す。文章の構造上から、100編は体でリズムを刻み歩きながら歌い、踊りながら歌ったのではないかと推測できます。能動的な詩編です。
 旧約であろうと新約の時代であろうと、神の招きに応答する、すなわち礼拝を献げることは信仰者にとっては永遠に変わらない感謝です。
 礼拝を献げることとは、「感謝」であり「喜ばしい」ことです。日々の苦難からの神はわたしを「解放」してくださるために、神はわたしたちを礼拝へ「招いて」くださいます。わたしたちも喜ばしい時、感謝な思いの時には、思わず歌わずにいられなくなります。
 なぜ神はわたしたちを、神の前に招いてくださるのか。3節「主はわたしたちを造られた」わたしたちは、神を賛美するため、神に礼拝を献げるために「造られた」存在です。わたしたちは、「主のもの」であり「養われる羊の群」であります。造られ、日々の生活が養われ、さらに神の前に進み出ることを許された者。神に造られた者の特権です。その神との関係を、知ること。聖書で「知る」とは、具体的な行動を伴っています。
 今日礼拝に招かれた事を感謝いたしましょう。また、喜んで世の戦いに出向きましょう。疲れたらまた戻って来られます。神は何時でもわたしたちを招いてくださいます。この繰り返しが小松川教会の歴史です。全ての教会の歴史です。神が備えられた教会の歴史です。
 「全地よ」と呼びかけます。礼拝によって神との出会いの喜び、感謝をこの世の者すべてに伝えることを教会に託されました。そして、先に召されたわたしたちの生活の「全地」「主に向かって喜びの叫びをあげよ。」と、思わず叫びたくなるような喜び、感謝をわたしの神への応答として生きる者であり続けましょう。