地の果てに至るまで祝福を

詩編66篇1~7節

佐々木良子牧師

 誰もが祝福を願うものですが、考えてみると殆どが自分の為・家族の為というような極、身近なものに関するものではないでしょうか。それは自然な願いと思います。しかし、この詩編の作者は自分サイズの小さな祝福を祈るものではありませんでした。全世界の人々が、罪の赦しと救いの恵みに与り、神を褒め称える事ができるように私を祝福してください、と祈りを捧げています。自分の為ではなく、神の御栄光を現すものとして、神のお働きに参与する為のグローバルな壮大な祈りです。
 「神がわたしたちを憐れみ、祝福し、御顔の輝きをわたしたちに向けてくださいますように。あなたの道をこの地が知り、御救いをすべての民が知るために」(2~3節)「神がわたしを祝福してくださいますように。地の果てに至るまで、すべてのものが神を畏れ敬いますように。」(7節)
 この詩編の背景には、神の民イスラエルが諸国の祝福の基として選ばれた事にあります。「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。」(創世記12:2)イスラエルの民は自分達の父祖アブラハムに与えられた約束と使命を、自分達が果たす為に祈っています。現代のキリスト者も全世界の人々への祝福の源となる事が求められています。主イエスは「あなたがたは世の光である。・・・あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々があなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」(マタイ5:14~16)と仰せになっています。自分の中にあるのは暗闇の罪しかありませんが、しかしどのような暗黒であろうと、その只中に立てられたイエス・キリストの十字架を仰ぐなら、私達は主に結ばれて光輝く存在とさせて頂けるのです。そんな私達の為に希望と慰めと平和の光をもたらしてくださったのが主イエスです。この光に結ばれた時、罪を赦され、救われ、神の子としての光を放つ事ができるのです。
 私達は今、死の闇を征服したキリストの復活の光、希望の光を放つ存在として生かされています。ですから、イスラエルの民の如くに大胆に「もっと、もっと私を祝福してください」と祈り、更なる光を放って地の果てに至るまで祝福を運ぶ者と用いて頂きましょう。祝福を運ぶ使命に生きる、光を放つ存在であるとは何と感謝な事でしょうか。共に世の光として輝かせて頂きましょう。