十字架の勝利

ルカによる福音書20章9~19節

 ぶどうの木は繁栄・歓喜・快楽・優雅・堕落を象徴する。主イエスは、イザヤ書5章1~7節に基づいて「ぶどう園と農夫」の比喩を語られた。
20章10節の「収穫の時」とは神が定めた「決算の時」である。 ぶどう園の譬えのように、神はイスラエルを選んでご自分の農園とされ、農夫であるイスラエルの宗教指導者に栽培を永らく任された。しかし、果たして「収穫の時」、「決算の時」は来るのである。それは即ち主イエス・キリストの再臨の時、最後の審判の時である。裁きの御座を前に私たちの備えは十分か。あなたたちキリスト者は如何なる信仰の結実を御前に献げるつもりなのか、と主は問うておられる。
20章13節の「たぶん敬ってくれるだろう」とは、万に一つの可能性に過ぎないが、神はどんな堕落した人類に対しても絶望なさらないことを示している。全人類の救いのため、神は愛する独り子に一縷の望みを託して世に遣わされた。父なる神は全人類の救いを絶対に諦めないお方である。また御子イエス・キリストは十字架の死に至るまで父のご期待にお応えになった。
20章17節の「家を建てる者の捨てた石」とは十字架上で死なれた主イエス・キリストのことであり、「隅の親石」とは建築物の要(かなめ)石なるキリスト、その建築物とはキリストの体なる教会である。宗教指導者たちは神からイスラエル12部族の育成を委ねられたが、イスラエルを私物化し、御子イエスを役に立たぬと捨てた。ところが、主イエスが担われた苦しみと十字架上の死があるからこそ、私たちは罪から贖い出された。主イエスの十字架の死から復活が始まり、私たちにも復活と永遠の生命を与え給うのである。こうして主イエスの十字架は天の御国への唯一の門となった。一発逆転の大勝利!真に「十字架の勝利」である。
人類の救いを絶対に諦めない父なる神に感謝し、「決算の時」に備えよう。主イエスが担われた苦しみを覚えて、十字架の勝利を感謝しよう。