11月22日 礼拝説教概要

「ありったけの感謝」(収穫感謝日)歴代誌上29章10~20節    
 
 神殿を建てる事を生涯の望みとしていながら叶わなかったダビデ王は、神殿建設の大任を担う息子・ソロモンの為に財源を用意した事が29章の始めに記されています。その財源を今に換算すると何十兆円にも及ぶと言われています。その時彼は「このような寄進ができるとしても、私など果たして何者でしょう、わたしの民など何者でしょう。すべてはあなたからいただいたもの、わたしたちは御手から受け取って、差し出したにすぎません。」(14節)と、全てのものは神から与えられている事に感謝と賛美をし、全会衆の前でその恵みを証ししました。
 このように神の前に謙虚なダビデと対照的に高慢な思いに支配されたウジヤ王という人がいました。「ウジヤは、神の驚くべき助けを得て勢力ある者となり、その名声は遠くにまで及んだ。ところが、彼は勢力を増すとともに思い上がって堕落し、自分の神、主に背いた。」(歴代下26:15~16)この後彼は神から裁きを受ける事となりました。
そのようにせざるを得ない神の思いは、いかばかりかと思われます。
 私達はどのような時にも常に神から祝福を頂いておりますが、それを自分の力と勘違いして結局は神を無視するような愚かな者である、と言わざるを得ません。神は裁かれる時ではなく、賛美を受ける形で私達と出逢う事を望まれております。神に感謝と賛美する事の喜びを通して神の偉大さ・愛・恵みを益々知る事ができ、前を向いて喜びの信仰生活を送る事ができます。
 神に感謝するとは「有難うございます」と告白する事に留まるのではなく、感謝・賛美を通して自らが廻りに示して行く事であると言えます。ダビデの如くに莫大な財産を与えられたとしても、罪を赦されて復活の命を頂いている事は何よりも勝る大いなる感謝と喜びです。私達は一介の罪人に過ぎない者でありながら、このように素晴らしい祝福を頂いている事にありったけの感謝を献げて、救い主イエス・キリストを証しして参りましょう。