クリスマスの大いなる喜びに与る

ルカによる福音書15章1~10節

 「これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」(マタイ18:14)神が主イエスをお遣わしになった目的は「一人の罪人」の救いのためです。
 本日の箇所は、自分は正しい人間と自負しているファリサイ派の人々や律法学者達が登場します(2節)。彼らのみならず、自分が罪人であるという自覚がない事が人間の悲劇です。アダムとエバが罪を犯した故に、人は誰でも神の元から迷い出て、滅びの道を歩まなければならない者ですが、その事にすら気づかないような憐れな者です。私達は自ら悔い改めて神の元に帰る事が出来ない、神から見失われた人間といえます。一匹では羊飼いのもとに帰る事のできない迷い出た羊と、見つけて貰わなければ見つける事ができない銀貨が私達の姿である、と譬え話が記されています(4~9節)。
 しかし、神は大切な私達が失われていくのを決して見捨てる事はなさいません。「あなたは高価で尊い」と愛してくださり、イエス・キリストを人としてこの世に送ってくださり、迷い彷徨っている私達を捜し出して神の元に連れ戻すという約束、旧約時代からの預言がクリスマスに成就しました。
 「わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱っているものを強くする。しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは公平をもって彼らを養う。」(エゼキエル書34:16)連れ戻すだけではなく手当てをしてくださいます。十字架の血潮によってきよめ、復活の主イエスの力を与えてくださいました。故に私達は今、神の前に救われた罪人して永遠の命を頂いて生かされています。この事が神の大きな喜びです。「一緒に喜んでください」と、本日の箇所に繰り返し述べております(6.9節)。全ての人々がこの大いなる喜びへと招かれています。
 クリスマスにイエス・キリストがこの世にご降誕され、悔い改めのチャンスを神の方からくださっております。独り子を十字架に架けるまで、神が命をかけておられるのですから、一人の罪人が救われる事は何ものにも優る神の喜びです。「一緒に喜んでください」と、罪人の救いを喜んでくださっている主イエスの御心に、心からお応えできるクリスマスを迎えたいものです。主イエスと共に大いに喜べる恵みが私達に与えられています。