先駆者

マラキ書3章19~24節

 今はアドベント(来臨の意)、教会は主イエスの降誕(初臨)再臨を待ち望み、祝いを準備する時。洗礼者ヨハネは主に先立ち世に現れ、人々に主の来臨に相応しい備えを促した。
【神の真実な愛】 神は愛である。マラキ書は対話形式[神の呼びかけ、神の民の反論(1:2-3:14)「どのように、なぜ、どんな、何の」、神の説明と宣告]以て神の真実な愛を示し、私たちを救いへと常に導く。今朝、父なる神は愛故に子なる私たちに主の日の救いに与る備えをせよと告げられた。
【神の名を畏れ敬う私達には、義の太陽が昇る!】 主の日(3:23)とは神が人類の歴史に介入される日。主の降誕(初臨)再臨主の日である。主の日高慢な者・悪を行う者・神に逆らう者(19,21)に炉のように燃える日となり、彼らは精錬する火(2)ではなく破壊する火(黙20:14-14等)によって燃え尽きて灰となる。しかし、神の名を畏れ敬う私達には、義の太陽が昇る(20)。義の太陽とは、神とその栄光そのもの、私たちを罪の呪縛から解放し、死に勝利された主イエス・キリスト。義の太陽が昇るとは主イエス・キリストを仰ぎ見ること。世の人々は主の十字架主の昇天を仰ぎ見たが、私たちが仰ぎ見るのは再臨の主である。義の太陽の光は翼の様に広く世を照らし、隅々の暗闇を消し去る。この御方を仰ぎ見る者は全て癒され、病い・怪我・罪による悲惨や苦しみから解放され、真の生命と豊かな平和に与る。罪と死に勝利したキリストの義に私たちは歓喜し、飛び跳ね、躍る!と主は仰る。
【主が来て、破滅をもってこの地を撃つことがないように】神はエリヤの出現 (3:23,24)を告知し、主イエスの降誕先駆者ヨハネを世に遣わされた。
 では主の再臨に先立ち、世の人々に福音を伝え、主の日の備えを促すのは誰か?神も私たちも愛する人々が撃たれることを望まない。神はその人々のため、最も必死になるはずの私たちを世に遣わされたのだ!私たちはヨハネと違い、信仰も霊性も乏しく、実に弱い。しかし私たちには希望がある。弱い所にこそ神の力が働き、愛する者と共に「義の太陽を仰ぎ見て歓喜する」日が必ず来る!そう確信して、まずは天よりの力を頂くことから祈り始めよう。