闇が力を振るう時

ルカによる福音書22章47~53節

澤田直子師

主題聖句 「そこでイエスは『やめなさい。もうそれでよい』と言い、その耳に触れて癒された。」 ルカによる福音書22章51節
ゲツセマネの祈りの場面、祈るイエス様と眠り込む弟子たちの姿は、神様とわたしたちとの温度差をよく表しています。神様の方では切羽詰まったギリギリの戦いをしているのですが、わたしたちは何もわからずにその時の状況に支配され、自分の大変さが第一になってしまいます。
ユダが引き連れて来た人々の物々しさに、ペトロたちは剣を抜きます。ここでは祭司長たちも弟子たちも、怯えから荒々しい言葉・態度になっています。その中でただ一人イエス様だけが静かに立っておられます。
イエス様はご自分を捕らえに来た人々に「今はあなたがたの時で、闇が力を振るっている」と言われました。時「カイロス」はピンポイントで神様のご計画が動く「時」を表します。なぜ、神様は闇が力を振るうことをお許しになるのでしょう?正確な答えはわかりませんが、神様の目からご覧になったら、なぜ人間はこうも過ちを繰り返すのか、なぜ何も学ばず簡単に闇の力に負けてしまうのか、と思われるのではないでしょうか。
イエス様を取り囲む祭司長たちもイスカリオテのユダでさえも、自分たちは正しい事をしている、ユダヤ教とユダヤ人の尊厳を守るためにはこれしかないと思っています。一方で神様も、全ての人々を救うためには、イエス様を十字架につける他に方法がないと思い定めておられます。
闇の力は、必ずわたしたちの内に働きます。闇が外側にあると思っている間は、怒ったり嘆いたりしていれば何かした気になりますが、ひとたび闇の力が自分の内にある良いものを食いつぶしていくことに気づいたら、戦わなくてはなりません。ゲツセマネはわたしたちの心のうちにあるのです。イエス様の戦いは、自分を捕らえに来た男の耳を癒すことでした。イエス様は闇の向こうに光があることを信じて、闇の力を利用して十字架に向かわれました。このイエス様を主と仰いで、わたしたちもまた闇の向こうに光があることを信じて歩んで行きましょう。
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