本国は天にあり

フィリピの信徒への手紙3章17~21節

澤田直子師

主題聖句 「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」 フィリピの信徒への手紙3章20節
 パウロは17節で「わたしに倣う者になりなさい」と勧めます。これは人格的なことや福音伝道に関することではなく、キリストを目標とするグループの一員であり続けてほしい、という意味です。というのは、18節から書かれているように、イエス・キリストの十字架だけでは救われない、律法を守らなければ、あるいはこの世的に上手くやるためには、ローマの皇帝や偶像を認めなければ、という人々が、フィリピの教会に入ってきていたからです。このような人々を、パウロは「腹を神とし」と非難します。本当の救いより先に世の損得を求めるからです。
 「しかし、わたしたちの本国は天にあります。」たいへん有名で、慰めになる言葉です。ただこれは、クリスチャンは死んだら天国に行きますよ、というだけの単純な話ではないと思います。イエス様は、ヨハネの福音書14章で、先にそこに行って、用意ができたら迎えに来る、と弟子たちに言われました。これはペトロが3回主を否認するという予告のすぐ後に言われたことです。わたしたちの本国はそういう者にも約束されているのです。
 聖書では、信仰者のこの世の歩みを「寄留者」と言い表します。創世記・族長物語でも、出エジプト記でも、神の僕は世をさまよい、この世を仮の住まいと考えました。この世の旅路を終えて本国に帰る時、イエス様はわたしたちを「ご自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださる」とあります。ホーリネスの群で重点を置く教理である四重の福音、新生・聖化・神癒・再臨、これらが完成し成就した後に来るのが、「栄化」キリストと同じに変えてくださる、ということです。本国がどこにあるかを心に置いて、キリストと言う土台から一歩も動かない決意をもって、世の旅路を歩み通しましょう。いずれ主が、住むところを整えて迎えに来てくださいます。
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