生きる源はキリスト

ヨハネの黙示録3章7~13節

澤田 武師

主題聖句 『わたしはあなたの行いを知っている。見よ、わたしはあなたの前に門を開いておいた。だれもこれを閉めることはできない。あなたは力が弱かったが、わたしの言葉を守り、わたしの名を知らないと言わなかった。』 ヨハネの黙示録3章8節
 フィラデルフィアとは「兄弟を愛する者」と言う意味です。フィラデルフィアは、ギリシアの文化・言語をリディアとフリギア地方に普及させる目的で建設された町です。フィラデルフィアでの宣教が、どのように始まったのかは分りませんが、アンティオキアの司祭の言葉が残っていて、この町には小さな集会があり、そこには忠実な信仰者が居たことは分かっています。
 フィラデルフィアの教会は「力が弱い」教会でした。少数の者が信仰を守っていたようです。しかし、弱さは全て悪い事だけではありません。「わたしの言葉を守り、わたしの名を知らないと言わなかった。」その弱さゆえに信仰は強められました。地震災害、異教徒の支配、この町の歴史が示す困難な時にも、教会に連なる人々が信仰に忠実に生きてきた教会です。この町には信仰に生かされている者たちが居ることを、イエス様はご存じです。「見よ」イエス様は人の目で見るのではなく、神様の目を通して、現実の中に働かれる神様の業を見ることを命じます。
 差出人のイエス様は「聖なる方 真実な方 ダビデの鍵を持つ方」と名乗っておられます。それはイエス様の中に神様の本質が示されているということです。手紙にはイエス様からの励ましと、約束のお言葉が記されています。
 新共同訳聖書では、イエス様からフィラデルフィアの信仰者に向けて「あなたは」と続く励ましのお言葉が8回、「わたしは」という約束のお言葉が13回繰り返し記されます。イエス様は直接語ってくださっています。
 神様の前での弱さを感謝いたしましょう。弱さの中でこそ、信仰者はイエス様の十字架の希望を見ることができます。私たちにも直接語りかけてくださっているお言葉として読んでゆきましょう。信仰者として忠実に歩みましょう。生きる源はキリストであります。
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