神様の栄光のために

コリントの信徒への手紙一10章23~31節

澤田 武師

主題聖句 「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現わすためにしなさい。」 コリントの信徒への手紙一10章31節
 コリントでは、「偶像に供えられた肉」を食べて良いのかいけないのかが重大な問題となっていました。当時、市場では他の神々に献げられた肉も売られていたので、ユダヤ教祭儀律法は市場で肉を買うこと自体を禁じていました。
 イエス様の十字架の贖いを、信仰の自由を与えてくださったと信じる者たちは、神様が供えてくださったものを食べることに支障は無いと主張します。
 しかし、彼らの言動から躓きを覚え、神学的に対立する者たちが起こされました。避けては通ることができない教会の課題の一つとなりました。
 パウロは「市場で売っているものは、なんでも食べなさい。」と宣言しますが、「『すべてのことが許されている。』しかし、すべてのことが益になるわけではない。『すべてのことが許されている。』しかし、すべてのことがわたしたちを造り上げるわけではない。」と、躓きを覚える者たちへの配慮は忘れません。
 パウロ自身はその宣教活動において、新たな信徒を得るためにそれまでの方法にこだわらず、戦略的に伝道を進めています。パウロはイエス様から与えられた信仰者の自由は決して変わらないとの確信を抱いています。それが神様の栄光を現わすものとなるために、パウロは相手によって方法論を変え、自分を規制してまでも、相手の良心に寄り添っていきます。
 私たち信仰者はイエス様を中心として生きています。イエス様はご自分の罪のために十字架に掛かられたのではありません。それは他者(私たち)の罪の贖いのためです。私たちが十字架を仰ぎ見る時、他者のために死んでくださったイエス様のお姿がそこに見えてきます。
 食べること飲むことも含まれる日常の中で、パウロは私たちにも「何をするにしても、すべて神の栄光を現わすためにしなさい」と語ります。
 神様はあなたを用いて、あなたの弱さの中にも、不足の中にも、神様の栄光を現わそうとされています。今あなたの日常は、あなたが神様の栄光を現わすために備えられた時であることを覚えて、歩み続けましょう。
📢音声