ダビデに続く

ルツ記4章11~22節

澤田 武師

主題聖句 『近所の婦人たちは、ナオミに子供が生まれたと言って、その子をオベドと名付けた。オベドはエッサイの父、エッサイはダビデの父である。』 ルツ記4章17節
 旧約聖書では、豊かに益し加えられて、与えられることは神様からの“祝福”と考えられます。ルツとボアズの結婚はまさに神様の“祝福”となりました。
 11節「わたしたちは証人です。」ナオミの嗣業の土地の、買い戻しの交渉に立ち会った長老たち、また広場に居合わせた民衆は、この結婚が神様からの“祝福”であることを喜び、証人となることを承諾します。
 神様の祝福はかつてヤコブの妻たち「ラケルとレア」、(正式には、側女ビルハと、側女ジルパの2人も含む)に授けられ、12部族連合の基となる12人の子どもが与えられました。神様は彼女たちを通して、イスラエル建国の礎となる祝福をお与えになったのです。更にその中の一人、ユダの子どもを宿したタマルは、イエス様に続くユダ族の礎となったのです。
 ルツがボアズと作る新しい家庭に、イスラエルの族長たちに与えられたと同じ“祝福”があるようにと、証は祈りへと変わります。
 14節「主をたたえよ」と、女性たちは喜びます。「主が身ごもらせたので、ルツは男の子を産んだ」と、ルツの日常に神様が働かれていたことが証しされています。モアブの地で孤独と失望に覆われて帰国したナオミは今、腕の中に子ども(オベド・仕える者)を抱いています。この子はナオミの今後の生活を支え、将来の祝福となる、神様が与えられた約束です。
 マタイ福音書の系図はイエス様に至って終わります。ナオミもルツも、自分たちの子孫からユダヤの王が出ること、救い主がお生まれになる事実を知ることはありませんでした。人間が知ることの出来る時間は、限られています。
 神様が備えてくださる“私たちの日常”は、やがて示される神様の栄光のためにあるのです。だから私たちの今がどのようなものであろうとも、私たちはここで神様を待ち望みましょう。私たちは今日、私たちの日常の中にある、神様の永遠のご計画を見ましょう。
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