2020年度

わたしは主を見ました

ヨハネによる福音書20章11~18節

澤田直子師

主題聖句 「マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、『わたしは主を見ました』と告げ、また、主から言われたことを伝えた。」 ヨハネによる福音書20章18節

 その朝、マリアが見たものは、空になった墓でした。マリアは自分の知識と常識で、イエス様のご遺体がどこかに持ち去られてしまった、と思い込んでいます。そして、何をどうすれば良いかわからず、ただ途方に暮れて泣くだけです。
 どの福音書でも、天使が現れたのは女性たちに対して、でした。なぜ弟子たちには現れなかったのでしょう。それは、福音の恵みがただ神によってのみ与えられるものだからです。ルカの福音書14章の宴会のたとえで、イエス様は「お返しのできない人を招きなさい」と教えられました。最初からへりくだる必要さえない、貧しく低い者、福音をただ受け取ることしかできない者が、復活の主に最初に出会う者として用いられました。
 マリアは、イエス様に話しかけられてもまだ「死んだイエス様」を求めます。そこでイエス様は「マリア」と名を呼びました。イエス様がその名を呼ぶのは、その人の全てを知っていてなお受け入れ愛しているしるしです。マリアは主に養われる羊にふさわしく、その声を聞き分けました。「すがりつくのはよしなさい」マリアは今までのイエス様との関係が続くことを期待しましたが、復活は「今まで通り」を続けるためではありません。ここからのイエス様の使命は、天の父の右に座って、信仰者に聖霊を送り、信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得ることです。
 マリアにはイエス様のお考えはおそらく分からなかったでしょう。それでもマリアは忠実に弟子たちに「わたしは主を見ました」と伝えます。女性がどんなに簡単な裁判でも証人として認められなかった時代に、ヨハネは、マリアの証言を記しました。
 わたしたちも「わたしも主を見ました」と証ししましょう。
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