イエス、涙を流す

ヨハネによる福音書11章28~37節

澤田直子師

主題聖句 「イエスは涙をながされた。」 ヨハネによる福音書11章35節
 イエス様が来られたとの知らせを、マルタ、マリアは待ち望んでいました。しかし、「兄弟ラザロの死」は、マリアを、以前のようなイエス様の御言葉に聞く者から、希望を失い死の悲しみに留まる者へと変えてしまいました。
 「先生がいらして、あなたお呼びです。」マルタの言葉は、マルタのイエス様への信頼の証しです。マリアを再びイエス様の元へと立ち帰らせるために、マルタはマリアに耳打ちします。マルタの言葉はマリアだけでなく、この姉妹と共にラザロの死を悲しむユダヤ人たちをも、イエス様へと導きました。
 ラザロの死の前に、ただ泣くことしか出来ない者たちをイエス様はご覧になり、心を激しく動かされたと記されています。共に涙を流している人々は、この悲しみの中を、姉妹と一緒に生きていこうとしている者たちです。その者たちにイエス様は同情されます。愛する者の死に心を合わせられます。ここには同情心に富むイエス・キリストの性格が、最も美しく描き出されています。 イエス様は、目の前にいる人々の悲しみを見て、死を乗り越えることの出来ない限りある命の姿を見て、涙を流されました。それはイエス・キリストが全き神でありながら全き人であったことを表しています。涙を流すことは、血肉を持つ人間特有のものです。
 この後、イエス様御自身も十字架の痛みの中に進んで行かれます。イエス様が受けられた痛みは、人間としての痛みです。十字架を見る者は、絶望の死の痛みを、イエス様を通して経験しました。
 イエス様から彼女たちへの慰めの言葉はありません。そして、この出来事が奇跡で終わることを、イエス様だけがご存知です。しかし、共に泣いてくださったのです。イエス様の涙は、彼女たちの慰めとなったことでしょう。
 イエス様の涙からはたくさんの思いが与えられます。悲しむことは罪ではないと教えられます。悲しみ、涙を流すような経験は、人には試練があり、弱さがあることを感じさせます。イエス様は全き人間として生身の人間の弱さをも持ち、私たちと同じ思いの中を歩んでくださいました。私たちの涙をイエス様は見ていてくださいます。この涙から神の栄光は始まります。
📢音声