本当に大切なこと

使徒言行録15章1~21節

佐々木良子師

 紀元49年頃、教会の歴史の中で最初で、また最も大切なエルサレム会議というものが開かれました。そこで審議されたことは福音の本質に拘わる重要なものでしたが、そのきっかけとなった出来事は「割礼」の問題でした(1~2節)。
 割礼とは旧約時代、神から選ばれたイスラエル選民の特別なしるしのことを指します。既に割礼を受けているユダヤ人クリスチャンが、パウロたちの伝道によって罪を悔い改めて、イエス・キリストを救い主と信じた異邦人キリスト者に対して、自分たちと同じように割礼を受けさせモーセの律法を守らせるべきだという主張をした事が発端です。
 それは福音の根幹を揺るがせるものでした。人が救われるのは人間の行いや立派さ等によってではなく、又、信仰に何かをプラスするものでもなく、ただキリストの十字架によって神は全ての人の裁きと滅びから救ってくださるという神の憐みと恵みの約束を反故にするものです。
 そこでペトロが立ち上がり、10章からコルネリウスが救われた時のことを述べました(7~10節)。彼は割礼を受け律法を守ったからではなく、ペトロが語った福音の言葉を聞いて信じたのです。御言葉を信じ、御言葉に従って生活していく時、聖霊が働き私たちを現実に生かし、強め導いてくださいます(8節)。
 更に自分たちが負いきれなかった軛のことにも触れました(10節)。軛とは律法のことですが、完全に守ることができる人は一人もいません。にも拘わらず何故ユダヤ人クリスチャンは、救われた異邦人に首に軛をかけるようなことをするのかという怒りです(10節)。
 このようにペトロの言葉とパウロたちの働きを通して異邦人も「信じるだけで救われる」という福音を理解できるようになりました(12節)。この会議で確認された事は、救いはただ神の恵みによるもので、恵みとは、救われるのに値しない者を救って頂けることを指します。唯、救い主であるイエス・キリストを信じることによってのみ救われるのです。
 律法は「わたしたちをキリストのもとへ導く養育係」(ガラテヤ3:24)と、律法を全うできない人間の不完全の悲しさを知るゆえに、それを成してくださったキリストの十字架の有難さが身に染みるのです。「ねばならない」から「ありがたい」へと変えられるのが信仰の原点です。