神の前に覚えられている

使徒言行録10章1~8節

佐々木良子牧師

 イエス・キリストの福音がユダヤ人から異邦人へと広がるきっかけとなり重要な役割をしたのがペトロとコルネリウスという人たちとの出会いでした。彼らの信仰と体験が豊かに用いられ、いよいよ神の御業が大きく前進するという時を迎えました。主イエスがかつて仰せられたように福音が地の果てに至るまでいよいよ広がり始めていきます(1:8)。
 コルネリウスという人物は主なる神の導きに従った異邦人でした。「信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。」(2節)彼は割礼という儀式を受けてユダヤ教徒に改宗まではしていませんでしたが、その教えを忠実に守り実質的にはユダヤ教信者であったと思われます。いつもの決まった時間に祈りを奉げていた時、天の御使いが顕れました。「あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられている。」(4節)彼の祈りと施しは神に覚えられており見事に応えられたのです。神の御前に真実に忠実に歩む者を必ず覚えていてくださいます。
 かつて旧約の民が神に献げた全焼の供え物の炎と香が神のおられる天に直接上っていくように(レビ2:16)、敬虔で真実な祈りは神の御前に直接上がっていき、全ての事を心に留めて頂けます。例えイスラム教で聖書を通して福音に接する機会が与えられていない人々であっても、祈りの中で、又、幻を通して直接主イエスに出会い、後に聖書に導かれてキリスト者へとなった人々が現に存在しています。このように神は全世界を見ておられ、ご自分に向かって真実な心で祈る者、聖霊の導きに従う人々を目に留めてくださっておられます。
 さて、この後コルネリウスは「今、ヤッファへ人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は…」(5節)とこれからの道筋を示されました。彼はペトロという人物についても知りませんし、又、何故招かねばならないかは知る由もありませんが即座に従ったのです(7~8節)。何かの保証や確信があって従ったのではなく、只、聖霊の導きのみだったのです。
 私たちは週毎に教会で礼拝をお献げし聖書も読むから信仰者だと思いがちですが危いものです。大切なことは、主イエスが十字架にお架かりになる直前も「いつものようにいつもの場所」で祈り続け神の御前に覚えられていました(ルカ22:39~40節)。私たちも日々祈り聖霊導かれて歩み続ける者でありたいです。