キリストの復活

ヨハネによる福音書20章1~18節

 『キリストの復活』は、主イエス・キリストを神の御子(ロマ1:4)と証明し、贖罪の御業の完成を現し(ロマ4:25)、信仰者の復活(1コリ15:20)と栄化(フィリ3:21)を保証する『キリスト教信仰の要』である。私たちはヨハネによる福音書の読み進めながら、主イエスの弟子たちの目を借りて、主イエスと出会い、主イエスの小さな弟子として歩んできた。今朝、私たちは、神の子メシアと信じていた主イエスを失い、絶望のどん底に突き落とされたペトロやヨハネ、愛しい御方に永遠の別れを告げに来たマリアと共に、墓へ走り、墓に入って来て、空っぽの墓を見た。
【来て、見て、信じた】10節。
 マグダラのマリアの「主が墓から取り去られた」という知らせに、シモン・ペトロともう一人の愛弟子(ヨハネ)は、墓へ走り、墓に入ってきて、見て、信じた。何を信じたか?「遺体がないことを確かめたので『イエスの復活』を信じた」と読み込みたいが、彼らは喜ぶことなく家に帰っている。9節のヨハネの告白も然り。彼らは「遺体がないことを確かめた」ので「マリアの言うように『主が墓から取り去られた』と信じた」のだ。しかし落胆する必要はない。直弟子の彼らでさえ、ペンテコステの聖霊降臨まで『キリストの復活』を本当に理解出来なかった。私たちも聖霊の注ぎを願い求めよう。
【わたしの兄弟たち】17節。
 マリアに復活のイエスが声をかけて下さったことは、本当に幸いである。「わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」ヨハネ15:12-15節で、主イエスは私たちをには「わたしの友」と呼び、その「友のために自分の命を捨て」て下さった。そして今朝、復活のイエス様は、私たちをまるで血を分けた兄弟姉妹のように「兄弟」と呼ばれる。主イエスの十字架の血の贖いによって、罪許され、イエス・キリストの御名によって、神の子とされ、神を父と呼び、キリストの兄弟姉妹とされたのである。
イースターおめでとうございます。