涙をぬぐい取って下さる神

ルカによる福音書7章11~17節

 本日の箇所は主イエスが、死んでしまったやもめの一人息子を復活させた事が記されています。主イエスが多くの人々を癒し、多くの奇跡を起こされた事を聖書は伝えてきました。そこから科学的理解を追求するのではなく、信仰的意味を探り信仰の目を持って、事実通りに読み続けられてきました。大切な事は主イエスを神の子と信じる事が大前提です。その事ができるなら神から人生の全ての祝福を受け取る事ができます。
 7章には二つの奇跡物語が記されています。前半の記事は主イエスに対する信仰が奇跡を起こした場合=人の信仰です。後半の本日の箇所は人の信仰よりも、むしろ主イエスの愛が先行しているケースです。このように全く異なった状況で奇跡が起こされています。神の御働きはある一定のパターンがある訳ではなく、人間の考えの枠にはめる事のできない豊かさと恵みが示されています。十人十色、神のご計画の中で神の時にそれぞれに神の最善が為され、神の恵みはどのような事があっても与えられます。
 「主はこの母親を見て、憐れに思い、『もうなか泣かなくともよい』と言われた。」(13節)と、この一言さえ聞けるなら人は立ち上がって生きる事ができます。憐れに思いとは「はらわたが揺さぶられる」という言葉で、母親の嘆き悲しみは主イエスも張り裂けるような痛みを伴って寄り添ってくださっていますが、中途半端な憐みではなく、復活の命まで到達するものです。その事を示す為に息子の復活を見せてくださり、同時に今の私達にも見せてくださっております。「神は独り子をお遣わしになりました。その方によって私達が生きるようになるためです。ここに神の愛が示されました。」(ヨハネⅠ4:9)復活の命を生きる為に神の愛は揺らぐ事はありません。死んだ息子がその場で棺から呼び起こされようとも、或いは再臨の時に復活させられようとも大きな問題ではありません。遅かれ早かれ主イエスは死んだ息子を必ず復活させて母の手に渡されます。その命に私達も与っているから泣かなくともよいのです。