神のミステリー 

エフェソの信徒への手紙3章1~13節

 「秘められた計画が啓示によって私に知らされました。」(3節)
 異邦人は神から選らばれていない故に汚れた民だと、ユダヤ人より差別されていましたが、神のご計画はユダヤ人のみならずイエス・キリストにおいて異邦人も同じように神の民とされると、パウロは神の秘められた奥義を示されました。異邦人に福音を伝える事が主から委ねられた使命であると、パウロは自らを「キリスト・イエスの囚人」(1節)と称して異邦人伝道に命を献げ尽くしました。
 「・・・異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。」(6節)同じ集団というレベルを超えて、一つの同じ体に属し共に異邦人も神の民とされます。主イエスは自らを医者に譬えて、罪人はそのままでは滅びに至るので、罪という病を治す為にこの世に来られたと仰せられました(マタイ9:9~13節)。キリストの元にあっては何の差別もありません。恵みを受け取るのに同じ体であり、共に永遠の命を受け継ぐ者です。私達もそのようにして神の憐れみによって招かれ、罪から救われた者です。
 パウロはローマ帝国によって捕らわれ、囚人の身でありながらも「キリストの十字架のほかに、誇るものが決してってはならない」と、生涯に亘って全存在をもって福音伝道に命をかけました。私達が誇るものは何でしょうか。どのような功績を残したか、どのような仕事をしてきたか、どのような名誉を頂いたか、ではありません。何者でもない者が、神の憐れみによって罪から救われ、神の民にされた事、それだけが誇りです。あらゆる差別や偏見の心を打ち砕いて頂き謙虚にされ、共に一つの体としての教会を建て上げて行く為に、神の御栄光を現す為に教会に遣わされています。それが神の秘められた奥義です。教会に遣われされている、という事はその一事だけです。