10月17日礼拝説教概要

「問題解決の秘訣」 サムエル記下15章10~16節、24~29節
            詩編3編1~9節
 ダビデは偉大な王として王国を繁栄させ、その家系からイエス様が誕生されました。しかし、ダビデの人生の後半は息子のアブサロムから命を狙われ、エルサレムから退去せざるを得なくなりました(10~16節)。
 「・・わたしが主の御心に適うのであれば、主はわたしを連れ戻し、神の箱とその住む所を見せてくださるだろう。主がわたしを愛さないと言われるときは、どうかその良いと思われることをわたしに対してなさるように」(25~26節)と、ダビデの信仰の告白とも思われる言葉が記されています。絶体絶命の厳しい状況の中にある自分を神に委ね、その応答を待ち望みました。その時の心境を「身を横たえて眠り、わたしはまた、目覚めます。主が支えていてくださいます。」(詩編3:6~8)救いは神から来ると断言しています。命を失うか、得るかという決定的状況の中で、私達は自分の力では対抗できません。ダビデの如くに自分の内側を見るのではなく、支えてくださる神に委ね待ち望む事が力となります。
 委ね、待ち望むという事は聖書では強調され、4つの内容が含まれています。
1、答えを任せる 自分の期待しないような解答でも神への信頼を変えない。
2、時を任せる 解決は神にお委ねした時点で済んでおり、後は待つだけという姿勢をとる。
3、やり方、方法を任せる 独りよがりに問題を解決するのではなく、神のお示し下さった方法で解決する。
4、神の恵みに期待する。信仰者を決して見捨てないお方と信じきる。
 「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけてくださるからです。」(Ⅰペトロ5:7)神に向かって謙虚な生活をする人は思い煩わらないと言います。言い換えれば思い煩いは傲慢だと、強烈な意味合いです。四面楚歌の時にこそ思い煩う事なく、私達を救う為に主イエスを十字架に架けて迄、私達を愛してくださっている神を見上げ、神の言葉を信じるのです。神の救いの言葉に救われ続ける事ことそが、大いなる祝福であり大きな力です。