11月8日 礼拝説教概要

「イエス・キリストにある未来」 創世記19章12~29節 
 神の使いはロトとその家族らに、人々の罪の為にソドムの町が滅ぼされるので「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはならない。」と告げました。これは私達にも語られている事だと思います。後ろには今迄築き上げてきた人生の集大成がある訳ですが、後ろのものがどんなに素晴らしくとも、命を保障するものではありません。過去を振り返るなら良かれと思っている事でも罪が絡みついていない出来事はない筈です。
 「なすべき事はただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走る事です」(フィリピ3:13~14)と、罪ある過去を振り返らず、前方にある神の救いの約束を目指して前に向かって走りなさいと言われます。兎角、今という時を立ち止まって過去の栄光や失敗に思い巡らせて自分で自分の道を閉ざしてしまうものです。
 旧約聖書はヘブル語で記されていますが、動詞の現在形は存在せず過去か未来しかありません。
今の瞬間が終わると全て過去の事となるわけです。今、立ち止まるのではなく、キリストが十字架に架かってくださった為に保障されている未来の永遠の命を得る為に、ひたすら前進する事が今の私達の成すべき事です。
 過去に支配される位つまらない人生はありません。主イエスは「ロトの妻の事を思い出しなさい」と、後を振り返って塩の柱となったロトの妻の事を例に挙げて戒めておられます。どんなに素晴らしい過去であったとしても、反対にどんなに失敗しようが、言えないような罪があろうが、どのような人であってもキリストによって希望のない人はいません。
 「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか」(ヘブル12:2)と、主イエスを仰ぎ見る事を許されている私達です。
 地上のものに心惹かれて失望するのではなく、現実から目を高く上げイエス・キリストにある未来を目指して参りましょう。