神の名のために

ヘブライ人への手紙6章4~12節

澤田直子師

主題聖句 「わたしたちは、あなたがたおのおのが最後まで希望を持ち続けるために、同じ熱心さを示してもらいたいと思います。」 ヘブライ人への手紙6章11節
 ヘブライ人の信仰は先祖代々受け継がれた律法によって作り上げられた生活を守ることでした。そこに、福音が伝えられ、十字架の贖いを信じてキリスト者となった、とはいえ、今まで守ってきた生活を変えるには抵抗があったでしょう。手紙を読むヘブライ人たちに迷いがあったように感じられます。
 「一度光に照らされ」とは洗礼を受けたことを示します。6節の「その後に堕落した者」堕落と聞くと、悪い道に迷い込んだように感じますが、ここは「怠惰であることを選ぶ」というような意味です。イエス様の十字架は、わたしたちの罪の身代わりです。そのことを知れば、信仰者が物事を判断し行動する基準は自然に変わってきます。しかしわたしたちは古い自分に戻ろうとする性質を持っているので、葛藤が生まれます。考えずに習慣に従うのは楽なことです。
 この葛藤が苦しいので、「今まで通り」に戻る、自分の内側に目をつぶって、
外側に向って、これは正しい、それは誤りだ、と決めつける律法学者になることを選ぶ、主を再び自分の手で十字架につけることになるのです。これが、怠惰であることを選ぶということです。
 しかし、9節「愛する人たち」愛はすべての罪を覆います。この手紙を読む人たちに迷いがあって、楽な道を選んで古い自分に戻ろうとする力に負けそうだとしても、同じ信仰に立って祈る者がいるので、「もっと良いこと、救いにかかわることがあると確信しています。」なぜなら、神は不義な方ではないからです。ヘブライ人たちが、エルサレムの教会を思い、祈り、捧げたのは「神の名のため」でした。使徒4:12「わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」イエス・キリストの名にかけて、ヘブライ人たちは愛を表したのです。神様はその行いを喜び、祝福されました。
 わたしたちの業は小さなものですが、神の名のために、何かを誰かに表して行けますように、祈りつつ歩み出しましょう。
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