テトスよ祈れ
テトスへの手紙2章11~15節
主題聖句 『キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。』 テトスへの手紙2章14節
クレタ伝道も、神様の壮大な救いのご計画の中にあります。神様は過去、現在、そして未来にも、豊かな救いの恵みを備えてくだっている。それはあなた方にも同じ恵みとして与えられている。テトスは語り、教えることが託されました。
「実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。」と、既に神様の恵みとして、イエス様はこの世にお生まれになられました。誰にでも分かるように、私たちと同じ人となられて、この世に「現われて」くださいました。
そして、イエス様は闇夜を裂いて昇って行く太陽のように、この世の罪の暗闇を破り、全ての人の救いの光として「現われて」くださいました。
「この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活することを教える。」現実に今信仰に生きる者の姿が示されています。それには「不信仰と現世的な欲望を捨てる」ことから始まります。信仰に不要な物を断つ。不要な物を捨てる。執着心から離れる。イエス様が座られる私たちの心の王座に、捨てきれないものが置いてないか。信仰生活は心にある自我を捨てること。断捨離が必要です。
「わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教える。」再臨を信じ待ち望む信仰者の姿です。「わたしはすぐに来る」イエス様は再び「現われて」くださる。その時に全ての人の救いは完成します。
しかし、再臨がいつ来るのかは誰にも分かりません。父なる神様だけがご存じです。だから、信仰者には祈り続けることが大切なのです。待ち望み祈る者とされるのです。信仰者は、何時いかなる時もでも、祈ることができるのです。
「キリストがわたしたちのために、御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。」
私たちの信仰は応答の祈りでなければなりません。先に自らを献げてくださった方への献身の祈りでなければなりません。私たちを神様は選ばれました。イエス様の御名前で祈ることが赦されています。イエス様の栄光の時を祈り待ち望む者として歩みましょう。私たちはそれぞれの日常に遣わされた者です。
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