愛にとどまりなさい
ヨハネによる福音書15章1~10節
主題聖句 「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」 ヨハネによる福音書15章5節bc
イスラエルはしばしば、神のぶどう畑に例えられました。有名なところではイザヤ書5章「ぶどう畑の歌」です。土を耕し、良いぶどうを植え、期待をもって収穫を待ったけれども、実ったのは酸っぱいぶどうでした。神は「わたしがぶどう畑のためにしなかったことがあるというのか」と嘆きます。
わたしたちは何か不都合が起こると、神に対してなぜですか、どうしてわたしが、とつぶやきますが、神様はたぶん「あなたのためにしなかったことがまだあるのか」と問われるでしょう。
収穫感謝礼拝で「ぶどうの木とその枝」のたとえが読まれるのは定番、実とはガラテヤ書5章の「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、柔和、節制」であるというのも定番です。
しかし3節でイエス様は「わたしの話した言葉によってあなたがたは既に清くなっている」と言われます。イエス様につながって頑張って実を結ぶのではなく、結ばれているその実をどうするか、が問われているのではないでしょうか。
レビ記は律法の書ですが、その中には「ぶどうの実を摘みつくしてはならない、落ちた実を拾ってはならない」という決まりがあります。収穫を得られない人のために残しておかなければいけません。全てを自分のものにしてはなりません。
イエス様は、父なる神とご自分の関係性について何度も弟子たちに語られました。イエス様の言葉も行いも、すべて天の父の御心の通りである、ということです。これをそのまま、イエス様とわたしたちの関係としてほしい。別の存在でありながら二つに分けられない理解と愛の関係でありたいと願っておられます。わたしたちの結ぶ実を、誰にどう残せばよいでしょうか。主に尋ね求めて歩んで行きましょう。
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