今一度十字架を見よ

コロサイの信徒への手紙2章20~23節

澤田 武師

主題聖句 『これらは、独り善がりの礼拝、偽りの謙遜、体の苦行を伴っていて、知恵のあることのように見えますが、実は何の価値もなく、肉の欲望を満足させるだけなのです。』 コロサイの信徒への手紙2章23節
 パウロは、「あなたがたはキリストと共に死に、キリストを受け入れ、キリストと共に復活させられた。」と、繰り返し手紙に記しています。ここに福音を信じた、コロサイの信仰者の真の姿があるからです。
 しかし「何故、あなたがたは福音を信じていながら、実体の無い、人が造り出した幻を求めるのか。この世の戒律に縛られているのか。余計なものを捨てられないのか。」パウロは異端の存在に、虚しさと憤りを感じています。
 創世記3章では、人が蛇の言葉を聞いた時に、神様の言葉を忘れてしまいました。それは、人が罪ある者となった瞬間であり、その時から神様との関係が断絶してしまったことが記されています。
 コロサイの教会に入り込んだ異端の目的は、福音、すなわちイエス様の十字架の罪の贖いによる救いの恵みのみを信じ、より頼む者たちを、イエス様から引き離すことです。異端の教えは、コロサイの信徒たちの信仰に不安を抱かせます。彼らは翻弄されてしまいます。偽りの言葉、偽りの信仰は、あたかもこちらの方が本物であるかのように語りかけ、世の姿を変えて見せます。異端との闘いに苦悩するパウロの姿があります。
 今、私たちの身近からも、たくさんの偽りの言葉、偽りの信仰が聞こえてきます。何が真の信仰であって、何が偽りの信仰なのか。神様のお言葉を聞き分けること、信仰の継続にはとても重要なことです。
 それには、イエス様の十字架をはっきりと見届けることが重要です。自分の見ている方向を十字架に合わせ、心の中をイエス様の御言葉、福音で充満させることです。すなわち、イエス様の十字架に留まることです。
 それでも、信仰に迷いが出た時、信仰が消えそうになった時、自分の目が十字架の方を向いているか、今一度確かめましょう。神様の知恵を知り、イエス様の十字架を見つめる時、御旨を託され御心を現わす者として、神様は私たちを用いてくださいます。今一度十字架を見上げて歩んでまいりましょう。
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