他利を求めて
コリントの信徒への手紙一 10章23~31節
主題聖句 「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」 コリントの信徒への手紙一 10章31節
8章から10章まで、偶像に供えられたかもしれない肉を食べても良いかどうか、という問いに対するパウロの考えが示されます。パウロは指示や命令を出すのではなく、大原則を伝えます。24節「だれでも、自分の利益ではなく、他人の利益を追い求めなさい。」この利益は、気持ちも含めての善い事、と受け取る方が良いでしょう。この御言葉は31節にもつながります。
他人の利益を追い求める、これはまさにイエス様の生き方です。イエス様はその力をご自分のために使うことは一度もありませんでした。聖書では、信仰者は神に倣う者になりなさい、と命じられ、ガラテヤ5:22、23では主イエス様につながる者が結ぶべき霊の実について「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」と勧められます。これを全て完璧に実行できる人はいないと思いますが、神様はそういう者をもお用いになり、しかも共にいると約束してくださる、不思議なお方です。
小松川教会では75歳以上の方を敬老の対象として敬老感謝礼拝をお捧げします。人生の早い時期に信仰を持った方も、信仰者としての歩みはまだ浅いという方も、世で積んで来られた経験を、主の御用のために分かち合い生かすようにとここにおられる。主が共に歩んでくださった、これからも、という喜びを証しする使命をもって、ここに、共におられるのです。
「食べるにしろ飲むにしろ」は文字通りではなく、日常の小さなこと全てと考えたいと思います。「すべて神の栄光を現すためにしなさい」わたしたちの意志や努力でできることではありません。しかし、主の御手の内に出会ったわたしたち、心を合わせて祈り合い、共に賛美を捧げるわたしたちの存在が、神の栄光を現すものです。神様からいただいている命の息を、感謝を表わし賛美を捧げるために使いましょう。自分の利益から一歩離れて、隣人のために祈ることによって、神に栄光をお返ししましょう。
📢音声