宝を探す

コロサイの信徒への手紙2章1~5節

澤田 武師

主題聖句 「知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。」 コロサイの信徒への手紙2章3節
 1節「わたしが、あなたがたとラオディキアにいる人々のために、また、わたしとまだ直接顔を合わせたことのないすべての人のために、どれほど労苦して闘っているか、分かって欲しい。」これはパウロの苦闘の祈りの言葉です。
 表向きだけイエス様への信仰を捨てさえすれば、パウロは無罪放免となったでしょう。しかし、彼はそれを選びませんでした。パウロを信仰の教師と信じている者たちが躓かないように、信仰から離れないように、パウロは祈っています。彼の祈りは、彼とコロサイの兄姉との間に在る、信仰者同士の確かな絆、その証として聞こえてきます。
 パウロは信仰者の、教会のあるべき姿を祈ります。「心を励まされ」信仰に生きる勇気を再燃させて、何度でも確信をもって異端に立ち向かう教会となるように。「愛によって結び合わされ」聖徒相互の豊かな交わりによって一つとなる教会であるように。「理解力を豊かに」福音を正しく知り、信仰に励んでゆく教会となるように。聖霊から示されるキリストの知恵と知識を得て世の問題にも応答してゆく。それこそが「キリストを悟るようになる」信仰の共同体としての教会となると祈ります。人間の知恵である「巧みな議論」にだまされない。全てのことはキリストの内に隠されている。一生懸命にイエス様を求める時、そこには必ず答えが示されているのです。
 以前パウロは、イエス様を救い主と信じる者たちを、厄介者、排除すべき者であると信じていました。その時彼はイエス様を悟ることはできませんでした。今、パウロはイエス様を信じる者となって執り成しを祈ります。
 3節「知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。」パウロは生涯を賭けて、イエス様の内に唯一無二の‟知恵と知識の宝“を探し求め続けます。ここにわたしたちが目指すべき信仰者の姿があります。
 私たちの祈りが、もし、誰かの信仰を勇気づけ、互いに愛し合う者と変えてゆくきっかけとなるなら。また、正しい信仰に生かされる者として歩もうと心を決める動機となるなら。私たちは生涯イエス様の中だけに宝を探し求めてゆきましょう。ここに主が私たちに求める信仰者の姿があります。
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