ドイツ ケルン・ボン日本語キリスト教会での佐々木良子宣教師支える会のHPです

少し長くなりますが、恵みのご報告をさせて頂きます。

突然で驚かせてしまいますが、今年の年明け早々、脳腫瘍のために1月2日に入院して4日に手術を受け、1月19日に退院いたしました。主のお恵みと皆様のお祈りと共に、特に教会の方々の献身的なお支えによって元気になり、教会のご奉仕もいつも通りさせて頂くことができ主に感謝しています。

<貴重な日本食の差し入れ>

<きっかけ>

昨年9月末頃より右目が霞み視力低下を感じて、11月末に眼科で診察を受けましたが、目の異常はありませんでした。眼科医の適切な判断により脳の検査を受けた所、脳腫瘍が発見されました。視神経等がある所に腫瘍ができていたお陰で、自覚症状が出て発覚できたことは幸いでした。術後の結果は、腫瘍は良性で全て綺麗に摘出され、目の霞みも同時に取れて視力も元通りになって感謝でいっぱいです。
 <昼食・かなりの量もしっかりと!>
<御言葉に支えられて>
診断が下された時に最初に頭に浮かんだのは主の御言葉でした。後になって思ったことは、御言葉の力により、直面する現実を前向きに捉えられた事に対して、つくづく信仰者であることの幸いを感謝しました。
『「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。』ヨハネによる福音書9章2~3節 「私を通してどのように神の業を現わしてくださるのだろうか、主に期待をしていこう」という思いが一瞬の内に与えられ、日毎に私は主の証人としての使命が与えられたことを確信しました。そうして、主はそのように一つ一つ導いてくださいました。

<日本人のお医者さまとの出会い>
腫瘍を通して主の御業の多くの奇跡を経験させて頂き、教会の方々と共に賛美しました。
僅か1カ月の間に診断から入院・手術・退院までアッという間に一つ一つが最善に導かれました。ドイツの地において日本人でクリスチャンの脳神経外科部長との出会いによって、執刀から全てを担って頂き、安心してお委ねすることができました。先生との出会いはまさに奇跡でした。

一時は言葉の問題から、日本で手術を受けようかと迷った時もありましたが、「言葉の問題であるなら、順番に泊まり込んで支えるから大丈夫!」と教会の方々仰ってくださったことによりドイツでの手術を決断しました。そしてまもなく日本人医師との出会いにより言葉の問題もすぐに解決できた次第です

<教会の方々の深い大きな愛が主を動かした>
このような奇跡が起こったのは、教会の方々の大きな愛と篤い祈りが主を動かしてくださったのだと思います。「もし、私が赴任していなければ、教会にこのような迷惑をおかけすることはなかったのに・・・」と大きな重荷を負わせてしまったことに対しての、申し訳なさで一杯でした。お詫びした所、「迷惑だなんて誰も思っている人はいないのですから、迷惑と言わないでください」「私たちは神の家族です」と、叱られました。この恵みのお叱りに癒され慰められ、身体の力が取れました。このような世界一の家族が与えられている私は何と恵まれている牧師か、としみじみ幸いを噛みしめているところです。下を見て「申し訳ない」と思うよりも素直に上を見ながら「ありがとう!」と、いう事ができる教会であることを改めて発見しました。そのことを思うとドイツでの手術の決断は、神様からの最高のプレゼントでした。

<もう暫く甘えて>
入退院時は勿論のこと、入院中は毎日高速道路を西から東へと飛ばして、日本食の差し入れなど携えてお見舞いにいらしてくださいました。病室で孤独や不安になることもなく毎日感謝して過ごすことができたのも、日本でお祈りしてくださった方々、そして教会の方々の毎日のお見舞いがあったからこそと筆舌し難い感謝でいっぱいです。
退院の日、朝一番に部屋に入ってこられた看護師さんが満面の笑顔で「今日、退院できるのですって、家に帰ることができてよかったね!」と仰ってくださり、共に喜んでくれることの嬉しさをも感じた退院のすがすがしい朝でした。
退院しても定期的に病院に行かなくてはなりませんので、車で往復送り迎えして頂き、お医者様との通訳をもお願いして、おんぶに抱っこ状態ですがもう少し甘えさせて頂き、いつの日か必ずこの愛をお返していける時がくると信じてその時を待っています。

<1月19日・退院 病院前:お迎えにいらしてくださった教会の方々と共に。三姉妹!>
<絆>
脳腫瘍というと一般的には思わしくない出来事のように思えますが、この一連のことを通して、教会の方々との関係が主を中心として更に深い絆が結ばれていることを深く思いました。
この絆を大切にしながら教会の方々と共に、一歩一歩教会形成のためにお仕えしたいという再献身の思いが与えられています。

   

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